甘えは鬱ではない 「鬱は甘えているわけではない」それはそうだろう。しかし↓ 鬱に甘えるのは甘えである 鬱だからって拗ねたりグダグダと言い訳ばかりするのは甘え以外の何者でもない。病気だからと言って甘えが許されると思っていることが甘えなのだ。 甘えは最高の逃げ込み環境である 「鬱だから」と言えば誰からも責められない。安全地帯だ。だって病人なんだもん。いたわってよ。 甘えるには良い言い訳がたくさんある 「病気だから」「真面目すぎるから」「責任感が強すぎるから」「今は休息の時なの」「充電中」 甘えれば人に同情される 「純粋な人だから」「繊細な人だから」 メンへラーには被害者意識がある 「甘えるな」と叱咤して反発するのは、図星である自覚があるからだ。だがそれが反省に至ることはなく、「アタシはこんなに頑張っているのに、どうしてそんなこと言われなきゃならないの?!」と思う。それこそが甘えであることに気が
4.脱オタ方法論で実は鍵を握っている、劣等感やルサンチマンの克服 オタクが脱オタをする時の方法論の一部や、脱オタの目的もまた、オタクが持つ種々の劣等感を疑わせる所見に満ちている。というのも、脱オタ者達は服装をどうこうしようとかいったレベルで満足する事が殆ど無く、1~3に挙げたコンプレックスがある程度解消されてきた時点で、ようやく『misson completed!』と喜びに咽ぶからである。彼らは別に服オタになりたいわけではなく、周囲の非オタや異性に認められたり、苦い内面を克服する為に脱オタを志している。ちなみに脱オタのプロセス途上、服飾そのもので劣等感や不全感の補償を達成する方向で奇形化してしまったのが服オタではないと私は疑っている。大半の脱オタ者にとって、ファッションは手段であって目的ではない。※1 率直に言って、そこそこの服を一揃い買って、オタク趣味を捨てた時点で脱オタに成功と思ったオ
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