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コミュニケーションに関するkaikoku444のブックマーク (3)

  • たぶん、アスペルガーの話

    私は人の気持ちがわからないコミュニケーション不全の人間である。なぜそう思うのかというと、みんなの暗黙の了解を自分だけ理解できていないらしい場面に何度も遭遇してきたからだ。言葉の裏が読めない。例えば、ある人が荷物を持っていたとして、「この荷物すごく重いんだ」と言ったとする。これは普通の人には『だから荷物持つの手伝って』という意味を持っているらしいが、私にとっては言葉通りの意味でしかない。逆のパターンもある。手料理べていて、単に料理が冷めていたから私は「この料理冷めてるね」と言う。それは普通の人には『手際悪いんだよ』という非難の声に聞こえるらしい。前述の通り、単に料理が冷めていたことを形容しただけなのだが。 しかし不思議なことに空気が全く読めないわけではない。私が言葉の裏を読めなかったために起こった微妙な空気は察することが出来た。そのため居づらい思いをしたのは数えきれぬほどである。つまり、

    たぶん、アスペルガーの話
  • 自分がアスペルガー症候群ではないかと思い始めた - 今日も得る物なしZ

    最近図書館に行くことが多いのだが、そこでアスペルガー症候群のを読んでいるとどうも自分もそうなのではと思わせられることが多い。 例えば場の空気が読めず会話が弾まない、日常生活がパターン化されている、興味が限定されている、柔軟な対応ができない、冗談が通じない、独り言を言う、物音に異常に敏感である、等々。 当てはまらない項目も多いが、それにしてもちょっと当てはまりすぎなんじゃないかと思う。 日常生活がパターン化されているのは症状としてあげられていることで気づいたが、確かに風呂に入るのは20時55分だし仕事に行ってる時は何時何分に顔を洗うとか全部決まっていた。 思い返せば子供の頃からそうだった気がする。朝は8時5分になるまで家を出ないとか。 物音に敏感なのは自覚していて、自分の部屋にいても階下で夕の皿をテーブルに置く音に反応するし(それも毎回)、いくら熟睡していても自分の部屋に誰かが近づいてき

    自分がアスペルガー症候群ではないかと思い始めた - 今日も得る物なしZ
  • 誰か教えてください

    私はtwitterもFacebookもやっていない。 別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。 まして今は二人の幼子の子育て中だ。 目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。 用があればその相手には直接メールなり電話なりすればよい。 用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。 メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。 しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。 世の中の多くの人がtwitterやFacebookに興じているところをみると、 私のような人間の方が少数派なのであろう。 そう思っていた。 だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。 そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。 そんなに常に見

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