春麗に攻撃される女性たち。皆さん自爆されてるのでいい具合にマッチしてます。スト2とかそろそろ話題的に古いのかな?と世代感覚も気になりますが、私はモロに格ゲー世代。自分の失敗した動画がネットに拡散するだけでも恥ずかしいのに、さらにコラの素材にされるという、この搾り取られ感。ネタにされるの最初は嫌でもここまでくると笑えるのかな。私が言うなって話だけども。
もし自分の茶碗をほかの家族が使ったらどう思うか。それが家族であっても何か嫌だよね。 でもカレー皿とかの洋食器は共用だよね?という文に出会った。たしかにそうだ。 茶碗には自分のもの!という意識があるなぁと、ちょっと考えることになった。 元の文は、図書室の本には書き込みしないでという、ごく当たり前の注意を促すページにある。 そのぺージは一橋大学大学院国際企業戦略研究科図書室のサイト内にあるが、 そのごく当たり前のモラルの説明が、ターゲットの知的レベルが高いからか妙にアカデミックなのも、何やら矛盾してて一つの見所ではあるけれど、それは取り敢えず置いといて茶碗について。 何か嫌なのは汚ないからか 「一般的な日本の家庭では、食事の時に各人の使う箸と茶碗が決まっています。夫婦二人きりの家庭でも、あるいは子どもがたくさんいる家庭でも、箸と茶碗は個人の物が決まっているのが普通です。 … 。 ところが、たと
一時期、私は給料の殆どをオーディオに注いでいた時期があった。まだオーオタという言葉が浸透する前。その頃の愛読書は「HiVi」で、毎週ハードオフを回るのが楽しみだった。元々、電化製品が好きだし、高校では電子工学を学んでいたので、ハマる素質は十分にある。 オーディオ製品が持つ一種独特の格好良さ。機能美。高級感。雑誌のレビューにより物欲は刺激され、次第に金銭感覚は狂っていった。高給取りでもないのに1万円のケーブルを5本揃えたりしていた。 今や懐かしきあの日々を振り返り、いかにして呪いが解けたかを書いてみる。 オーディオの魅力 基本的に今でも電化製品が好き。技術者が丹精込めて作り上げた機械は格好いい。アンプやスピーカーの外観は美しいので眺めているだけで楽しいし、中の技術を考えるのも好きだ。 性能を比較して楽しむのは趣味の醍醐味。車やバイク、ゴルフクラブと同じように所有欲も湧く。より性能の良い製品が
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