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2017年1月12日のブックマーク (2件)

  • 「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。|古賀史健

    ちゃんと別の話に行きつくことを断ったうえで、また犬の話からはじめる。 生後4ヵ月を過ぎたうちの犬は、まあ咬みぐせがひどかった。いま劇的に改善しつつあるのだけど、とにかくひとの手を咬み、足を咬み、服を咬みまくっていた。訓練士の先生は「この子、見た目よりも怖がりなんですよ」と言った。ストレスに弱いから、とりあえず咬もうとする。それで防御しようとする。別に攻撃したいんじゃなくって、ビビリなだけなんです、と。 人間でもまったく同じだなあ、と思う。 「傷つきやすいひと」は、往々にして「傷つけやすいひと」とイコールだったりする。ちいさなことに傷つくひとは、同じくちいさなことで誰かを傷つけていく。怒りの沸点が低く、しょうもない私憤を、たいそうな公憤であるかのようにすげ替えて、誰かを攻撃する。 アドラー心理学では、「ひとは自身の劣等感を刺激されたとき、『怒り』の感情を持ちだし、他者を攻撃する」と考える。

    「傷つきやすい」は、「傷つけやすい」。|古賀史健
  • ひとはなぜイライラするのか。|古賀史健

    きのう、タクシーがなかなかつかまらず、イライラしていた。 人は、おれは、なぜかタクシーについて「それがすぐにつかまるもの」として「タクシーで行けば20分だ」などと計算する。取らぬたぬきを、皮算用する。けれども手を挙げてすぐにタクシーがつかまることは、ほとんどない。まったく学習能力のないバカボンだけど、たぶんこれからもぼくは「タクシーで行けば何分」と皮算用し、イライラしながら道にたたずむのだろう。 しかし、考えてみるとこのイライラは不思議なものである。 たとえば駅のホームで電車を5分待っているとき、ぼくらはイライラしない。スマホを眺めたり、音楽を聴いたり、物思いにふけったり、を読んだりしながら、むしろ心穏やかに待つ。ところがタクシーのつかまらない5分間は、これ以上ないほどイライラする。なぜか。 「可能性」である。 たぶん以前にも書いた話なのだけど、大事な話なのでもう一度書こう。福岡の片田舎

    ひとはなぜイライラするのか。|古賀史健