倒幕と維新に尽力した、維新の三傑の一人、西郷隆盛。 薩摩藩の下級武士でしたが、何度も建白書を書き藩庁に提出していた事もあり、 いつしか藩主の島津斉彬の目にとまり、登用されることになります。 斉彬の死後、流罪を2度経験するも、大久保利通などの働きかけで復帰し、 蛤御門の変以降に活躍を見せ、薩長同盟の成立や王政復古に成功。 その後も戊辰戦争を主導し、江戸無血開城を成功に導くなどし、 明治4年に参議、その2年後には陸軍大将となります。 しかし明治6年、方針の違いから政府に辞表を提出し、 故郷である鹿児島へ戻ります。 旧鹿児島城内に私学校を設立して教育に専念していましたが、 九州地方を中心に各地で士族による反乱が相次ぐ中、 西郷も明治10年の西南戦争で指導者として担がれることとなり、 戦争に敗れ、城山で自刃しました。享年51(満49才)。 翻訳元のナショナルジオグラフィックの記事では、 そのような