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ブックマーク / nanioka.com (3)

  • 7月の活動報告 | 「令和の何丘」ブログ

    7月は4か所でしゃべった。 1. 高校でしゃべった。 2. 大人たちの前でしゃべった。 3. 大学でしゃべった。 4. 劇団でしゃべった。 高校でしゃべった 近所の高校でしゃべってきた。何しろ生徒の3分の1が留学生という、非常に国際色のゆたかな、東京・三多摩の某私立大学の高等部だ。1~3年生20人ほどが聞きに来てくれた。 四章に分けてしゃべった。 ①平和な時代のオデッサ ②戦争始まってからのオデッサ ③私らはいかにしてオデッサから避難したか ④ウクライナ避難民の生活と支援 拙いスライドを用意してった。 ↑こんな感じで、原則自分で撮った写真から、オデッサの街中の観光名所とか、あと私たちのダーチャ生活とか紹介した↓ ここまでを何しろ厚めにしゃべった。その狙いは2つあって、まず、ウクライナという地名が戦争によって初めて前景化してきた、戦争のほかにウクライナと聞いて連想するものがない、という高校生

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  • 流亡の記(ウクライナ~モルドバ~ルーマニア) | 「令和の何丘」ブログ

    正教会の寺院を見つけるたびに立ち寄って祈りを捧げながら、家族3人で東欧を流亡している。その日誌。(3/25記:完結しました) モルドバ 国境通過~キシニョフ ウクライナで某事象ありて、私とは二歳児太郎を連れて隣国・隣々国経由で日に帰ることにした。オデッサ郊外の某村からモルドヴァへの最寄りの国境通過ポイントまで義父に車で送ってもらい、無事越境を果たした。 その国境通過ポイントは無人の荒野みたいなところで、そこから何とかしてモルドヴァ首都キシニョフ(キシナウ)まで上らなければならない。移動手段は3つある。①無料の輸送バス②ボランティアの自家用車③タクシー。私たちは幸いにも②に拾って貰えた。当に幸運だった。子供にとってこの流亡は楽しい「旅」でなければならない。①ではそれは叶わなかっただろう。③はすわ稼ぎ時と法外な料金をふっかけられる由だった。 このボランティア氏は別になんらかの団体に所属し

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    kamanobe
    kamanobe 2022/03/17
  • ロシアに侵略されてるウクライナに住んでる日本人の日常と心情 | 「令和の何丘」ブログ

    更新履歴 3/5および2/28の一部記述を削除した(3/22) 日付を昇順に並び替えた。あとリード文変更(7/10)←NEW 1月19日(非常事態宣言in my family) この日がまぁ非常事態宣言in my family発令の日だ。発令はこのようになされた:に折り入って話がと切り出して「自分は専門家じゃないから究極的には分からない、たとえば兵器の移動を示す衛星情報とやらの検証もできないし、ロシアが今そんなことする必然性というのも自分自身完全には腑に落ちてないくらいだからその点であなたを説得することは不可能だけども、こうして米国高官の誰がまた誰が今か侵攻と発言したとかしないとか、そういうニュースに日々接して不安を覚えないということもまた俺には不可能だ」そこからもう一歩踏み込んで「さてそれででは何が起こり得るか何を恐れるべきかということについて俺の考えなんだけども、①ロシア軍を恐れるこ

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    kamanobe
    kamanobe 2022/02/17
    日参することになるとは。
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