2011年3月11日、日本中が揺れた。それから2週間後、4人の男が東京から北へ向かった。オウム真理教信者を追いかけたドキュメンタリー「A」で注目された森達也、イラク戦争やアフガニスタン戦争も取材した映像ジャーナリストの綿井健陽、タイ国境に残った未帰還兵についての映画「花と兵隊」の松林要樹、そして森らの映画を製作してきたプロデューサーの安岡卓治である。ドキュメンタリーの世界で実績を積んだ彼らは、3月26日、カメラを持って被災地に向かった。現場をその目で見るために。 4人は当初映画を作るつもりはなく、ただ現場を見てみたかっただけだった。だからなんの準備もなく福島へ向かい、ほとんどコメディーのような珍道中を繰りひろげることになる。線量計の数値に一喜一憂し、雨に濡(ぬ)れたビニール合羽(かっぱ)の始末で大騒ぎ。無邪気にはしゃいでいる、と言われても仕方あるまい。だが、津波の被害を受けた宮城県の沿岸
(車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場) 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。 〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕 お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。 【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。 事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く