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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (6)

  • アーセナル「青田買い」の黒歴史。浅野拓磨のリミットは2年か|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|World Football

    「1年目からアーセナルでチャレンジしたいという気持ちはあります。レンタルになったとしても、マイナスではないと思っていますし、やるべきことは変わりません。どのチームでも、目の前のことに対して100%でやっていければと思っています」  イングランドの名門アーセナルへ完全移籍することを発表したサンフレッチェ広島の浅野拓磨は、会見の場で自らこのようにコメントした。  過去にアーセナルと契約した日人選手は、稲潤一(2001年にレンタルでの移籍)と宮市亮(2010年12月に中京大中京高から入団)の2名がいるので、浅野は同クラブ3人目ということになる。しかし、浅野の発言にあるように、現実的には英国での労働許可証を取得するためのハードルが高いため (※) 、おそらく初年度はレンタルで他のヨーロッパのクラブでプレーすることが濃厚と見られている。 ※現行の規定では、2年間の通算FIFAランキングが53位の

    アーセナル「青田買い」の黒歴史。浅野拓磨のリミットは2年か|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|World Football
    kamecave
    kamecave 2016/07/15
  • ドイツ1部参戦、ケルンのサッカーを変えた長澤和輝

    「試合に出て、評価もそんなに悪くなかったですし、ベストイレブンにも選ばれたりしたので、できたことの方が多かったんじゃないかなと思います」 5月、2013~2014シーズン最終戦を終えた長澤和輝は、プロとしての初めての、それも海外でのシーズンをそう評価していた。 ケルンでブンデス1部に初挑戦する長澤和輝 ドイツ2部へと渡りレギュラー奪取、そして2部優勝を成し遂げて1部昇格という結果は新人選手としては十分すぎるものだろう。 何より長澤はケルンの人々を驚かせた。3季ぶりの1部復帰、そして2部優勝を決めた夜、喜びが爆発するケルンの街で、興奮したファンが私の姿を見つけるとニコニコしながら話しかけてきた。 「日人だよね? ナガザワ(ドイツ語では単音の「s」を濁音で発音するため「サ」ではなく「ザ」と読む)は素晴らしい選手だね! 彼はこの前まで日の大学でプレイしていたんだろう? まだ若いし今シーズンは

    ドイツ1部参戦、ケルンのサッカーを変えた長澤和輝
    kamecave
    kamecave 2014/08/19
  • 【アビスパ福岡】自治体との強固なパイプを築く経営理念|スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | Jリーグ 地方クラブの現実|

    アビスパ福岡について語るとき、行政との密接な関係性を抜きにはできない。福岡市がアビスパに対して委託しているアビースクールは、幼稚園、小学校、地域の子ども会など、多くのカテゴリーを含み、昨年は年間192回を記録している。そのために市が予算を組み、クラブの収入となっている。 責任企業を持たない地方クラブにとってこれは大きい。税金が投入されることによってその公益性を強く問われるが、同時に注視されることで、お上公認で地域に認知されやすい存在とも言える。 とあるJ2のクラブ経営者は筆者のインタビュー時に「うちの行政も福岡くらい支援してくれれば助かるのだが」と、うらやんだ発言をしていた。出資金、資金以外に自治体から経済支援をもらっているクラブは少ないが、中でもアビスパは特に密な関係を保ちつつあると言えよう。 福岡にはプロ野球のソフトバンクホークスをはじめ、バスケット、ラグビーもプロスポーツクラブが林

  • 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | アンチ・ドロップアウト | 古賀正紘

    「移籍先を探してほしい」と、代理人に告げた 2010年5月、柏。彼の焦慮(しょうりょ)は深まるばかりだった。 <なぜ、こんなことになったのか?> 柏レイソルで4年目の彼は、何度もその経緯を反芻(はんすう)した。 当初、ネルシーニョ監督との関係は良好だった。昨シーズン途中でやって来たブラジル人指揮官は自分を高く評価し、先発で起用した。2試合目で足首を負傷し、その後はリハビリで戦列復帰が遅れたにもかかわらず、「お前の力が必要だ」と声を掛けられるほどだった。翌シーズン前のキャンプで痛みが再発した時も、「何とかして開幕に間に合わせてくれ」と監督から懇願された。 <評価されるのはありがたいことだ。でも、ボールを触るどころか、歩くだけでずきずき痛い。どうにかならないものか> 彼はせめぎあう気持ちと戦いながら、極力ネルシーニョの要求に応えようとした。 実は前に所属した名古屋グランパスエイト時代は先発メン

  • 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | アンチ・ドロップアウト | 田中誠

  • 集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva | ドロップアウト | Vol.7玉乃淳 F・トーレスと2トップを組んだ男の10年

    2009年4月26日、正田醤油スタジアム群馬。雨雲に覆われた空は暗く、光が射し込んでくる気配はどこにもなかった。彼はずぶ濡れになりながら、ピッチ脇でウォームアップを続けていた。 「いつでも行けるのに」。募(つの)る焦りをかみ殺すのに必死だった。ベンチから交代選手が呼ばれる。0−2でリードされ、ホームチームとしては攻撃的選手を投入する展開。しかし呼ばれたのは高卒ルーキーだった。 「交代枠はもうひとつ残っている。最後までチャンスを待つんだ」。心を奮い立たせ、辛抱を決め込んだ。 2009シーズン、J2ザスパ草津に入団した彼は9節までわずか22分間の出場にとどまっていた。この日の対戦相手は古巣の東京ヴェルディだっただけに気持ちも高ぶったが、「焦るなよ」と自分に言い聞かせ、感情を理性で押し殺した。試合は淡々と流れ、ロスタイムに入った。スタジアムに熱がわき起こるようなシーンは訪れず、チームは交代枠を残

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