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原爆に関するkamosakaのブックマーク (2)

  • 核なき世界を望むなら、日本は核兵器禁止条約に参加してはいけない(佐藤 丙午) @gendai_biz

    核兵器禁止条約には問題がある 世界で最初に原爆が投下された8月6日と9日は、日にとって特別な日である。 この経験を持つ国として、日は核兵器の災禍を語り継ぐ責任がある。さらに、日は核兵器の廃絶を訴え、世界が二度と核兵器を使用しないように努力する歴史的宿命も負っているのである。 日政府はこれまでも核兵器廃絶に取り組んできた。自身が核兵器を保有しないことを国際社会に誓約すると共に、国連総会に「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」決議を提出し、核不拡散にも積極的に取り組んできた。 そのような経緯を考えると、日が2017年7月に採択された核兵器禁止条約交渉に参加せず、条約に反対することに違和感を持つ意見があるのも自然だろう。 また、核兵器廃絶を条約として法的に規定し、「核兵器なき世界」の実現を目指す国際的な取り組みに日が参加しないことは、その廃絶を願う「ヒバクシャ」の心情を考えると、到底

    核なき世界を望むなら、日本は核兵器禁止条約に参加してはいけない(佐藤 丙午) @gendai_biz
  • 熱風私をかばった母…元プロ野球選手 張本勲さん 75 : まとめ読み「NEWS通」 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    私の両親は、日の植民地だった朝鮮の慶尚南道(キョンサンナムド)から渡来しました。翌1940年、私は広島市で生まれた。韓国は生みの親、日は育ての親のようなものです。 人間には知恵がある。互いに引くところは引き、話し合えば片づかないものはないというのに、なぜ争うのか。政治は分かりませんが、喧嘩(けんか)してもどっちにもマイナス。その最たるものが戦争です。5歳だった「あの夏」は忘れない。 その時、家を出るところでした。自宅は爆心地から2キロと離れていなかった。でも海抜約70メートルの比治(ひじ)山が、熱線を遮ってくれました。家屋は全壊し、意識が戻り最初に記憶しているのは、私らをかばって覆いかぶさっていた母の血の赤い色。先に逃げなさいと言われ、近くのブドウ畑に避難した。人肉の焼ける強烈な臭い。叫声を上げながら、近くの猿猴(えんこう)川に飛び込み亡くなっていく人々。夜通し続くうめき声。 2日ぐら

    熱風私をかばった母…元プロ野球選手 張本勲さん 75 : まとめ読み「NEWS通」 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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