2014-11-18 「無知」が日本人のモラルを保っていたのではないか仮説 江戸時代、明確な教育機関といえば武士が教養を学ぶ「藩校」しかなかった。 広い日本の中には、コモンズから画像を引用した三春小学校のように藩校の跡地がそのまま公立学校になっている場所もあるという。しかし、武士は日本人全体のごく一部だったため、教養教育が隅々まで行きわたることはなかった。 国民の大半に開かれた教育の場として「寺子屋」が存在したが、寺子屋は民間が自発的に作ったものだった。いまの文科省の認証する学校法人のような明確な教育機関ではなく、義務教育ではない。そのため、教育機関に全く通わず、文字が読めなかったり教養がないまま大人になった日本人はたくさんいただろう。 西洋では、古代の時代から知識を交わしあう歴史があった。プラトンの対話篇は代表例だろう。新たな主張と反駁を繰り返すことで社会はどんどんと洗練されていき、やが