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ピンと来ないと増田に関するkana321のブックマーク (6)

  • アニメーターが描きたいものってやっぱり美少女なんじゃないか?

    アニメーター市という企画がやっている。スタッフクレジットを見ると日を代表するようなアニメーターやアニメ関連企業が関わっている。この、アニメーター市というのは普段は商業的に縛られまくりなアニメーターが自分が描きたいものを描いたらしい。日のアニメには「美少女動物園」という批判が集まる。美少女ばかりでてくるということだ。そんな意見に「これは美少女が出てくるアニメでないと売れないからである。作り手は仕方なく作っているだけな筈」という反論を彼方此方でみた。しかし、"作り手が作りたいもの"である筈のアニメーター市の作品を見て欲しい。今公開されている作品の5作品中5作品美少女が画面を占める。肌色率もとても高い。作り手たちは「仕方なく美少女を作っていた」訳ではなかった。「美少女を描きたい」ということがバレてしまった。作り手たちは美少女しか作れなくなってしまったのだろうか?日のアニメはやっ

  • 上層部を説得するべきか会社をやめるべきか

    絶対の自信を持って押した企画が潰れかけている。 その名も 「上京倶楽部」 今までにない画期的な婚活サイト。 田舎に生まれてのんびり育ってのんびり生きている家庭的な女の子を、 東京のエリートとマッチングするためのサービス。 エリートがに求めるのは知識や教養なんかではなく、癒やし。 自分の稼ぎに決してケチをつけない慎ましさ。 それらは東京の女には望めない特徴。 だけど田舎に行けば、そういう女の子女の子した女はいくらでも見つかる。 そういう、ダイヤの原石をリクルートして東京につれてきて、仲介料を取る企画。 同時に、純情な田舎娘に駆逐され、未婚のままあぶれた東京の女を、深刻な嫁不足に悩む農村に送り込む、 「都落倶楽部」 も同時展開する。 見栄と虚栄にまみれた彼女たちをアフターケアするために、 身内には外国人男性と結婚して海外に行ったように見せかける情報工作サービスをつける。 年賀状やSNSには幸

    上層部を説得するべきか会社をやめるべきか
  • かつて僕が神童だった頃の話

    神童だと言われて育った。2歳で平仮名を全部覚え、3歳になる頃には、保育園で他の子達に絵を読み聞かせていた。保育士の間で変な子がいると噂になり、近所の教育大で知能検査を受けることになった。その後、両親が大学に呼び出され、しばらくして算数の教科書と問題集を持って帰宅した。それを読んで勉強するようにと言われ、試しに読んでみると、何を言っているかが大体理解できた。分からないところは親に聞きつつ、小学校に入る頃に分数の勉強を終え、小4の途中で高校の微積分を終えた。 学校は楽しくなかった。あらゆる授業で、5分で済む話に1時間以上をかけていると感じた。全部の質問に手を挙げていたら、1週間もしないうちに、もう手を挙げるのは止めろと教師に言われた。漫画ゲームをしていると取り上げられた。教師ももてあましていたのだろう、途中から、図書室で借りたなら、授業中に読んでいても何も言われなくなった。ただ、小4の途

    かつて僕が神童だった頃の話
    kana321
    kana321 2014/07/23
    かつて僕が神童だった頃の話
  • 割烹 「すたっぷ」

    都の西北、早稲田。学生でにぎわう、学究の街だ。 そんな街の路地裏で、今日も小さな店に灯りがともる。 店の名は「すたっぷ」。 「いらっしゃいませ」 暖簾をくぐると、店の女将、小保方さん(52)が割烹着姿で出迎えてくれた。 「実は、私も昔は研究者だったんですよ」 女将はお燗をつけながら、笑顔で語りだす。 「あの頃は夢がありましたね。自分の研究で世界中を幸せにするんだって」 聞けば、彼女は博士号を持つバリバリの「リケジョ」だそうだ。 専攻は再生医学。日有数の研究機関で実験三昧の毎日を過ごしていた。 そんな彼女に転機が訪れたのは、30歳の頃。 学会では存在すら疑われていた「万能細胞」なるものの精製に成功したのだ。 発表と同時に話題となり、マスコミにも取り上げられたという。 「でも、それがボタンの掛け違えの始まりでした」 遠い目をする彼女。手に持ったお燗用の三角フラスコがかすかに震える。 発表を急

    割烹 「すたっぷ」
  • 勉強的な頭の良さととユーモア的な頭の良さの違い。

    よく面白い人は頭がいいというけれど、じゃあ頭がいい人は面白いかというと、そうでもない。なぜだろうか。それは、面白さというのは無限の解の一つに過ぎないからだ。大喜利を頭に思い浮かべて欲しい。さまざまなお題の一つ一つに、無限の答えがあることが分かるだろう。つまり、芸人とはその場その場のシチュエーションに多くの答えを出せる人というわけだ。 一方、勉強的な頭の良さのある人は、確固たる答えのある問題を解くのに長けている。例えば数学や、物理などはその極端な例として挙げられるだろう。 またユーモアは、時間が経つと答えに飽きがきてしまうものだ。一発屋の芸人を見てもらうと明らかなように、面白さとは、答えが答えで無くな理不尽な感情である。これは論理的にはどうも捉えづらい。 一方、学問とは、何年経っても答えは答えであり続ける。だからこそ、知識や論理的な解釈に長けている人々が最前線に立てるのだ。 以上より、ユーモ

    勉強的な頭の良さととユーモア的な頭の良さの違い。
  • アイスボックスに入るのはそれが現代の学生運動だから

    ただの子供の悪ふざけに対して集団で糾弾する世間 人の体が近くにあっただけで品を全て破棄することを肯定する世間 悪ふざけをに対して重罪のように罪を下す企業という世間 コンプライアンスという狂った強迫観念を当たり前のように肯定する世間 動物なら許すという身勝手な世間 当に今回の一連の流れは、”正しい”のか? 若者特有のセンシティブなアンテナが この当たり前のように消費された事件の中から 隠された違和感を拾ったのだ。 彼らは模倣して表現した。その違和感を。 繰り返せば気付くと直感した。この世界の常識の馬鹿らしさに。 これは保守化した常識に対しての彼らの学生運動なのだ。

    アイスボックスに入るのはそれが現代の学生運動だから
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