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人間と学校に関するkana321のブックマーク (6)

  • 30代おっさんだけどJCに告白された

    30代の独身オッサンの魔法使いです。 趣味料理で、ほそぼそと料理ブログをしています。 1年ほど前から、女子中学生の子がコメントをしてくれるようになりました。 その子もブログをしており、こちらもコメントに行くようになりました。 半年ほど経ってLINEを交換し、週に3、4日はやりとりするようになりました。 気付けばLINEの無料通話で会話をしたり、かなり仲良くなっていました。 そして驚いたことに、住んでいる場所がとても近いのでした。 電車で30分かからない場所だったのです。 先程、彼女と通話中に告白されました。 会って、付き合ってほしいと言うのです。 恥ずかしい話、私も彼女に少なからぬ好意を抱いてしまっています。 実際私たちはお互いの顔も知りません。 また、彼女はどうやらあまり学校に馴染めていないらしいのです。 私のことを好きになったのもある種の逃避でしょう。 私自身彼女を好きになってしまっ

    30代おっさんだけどJCに告白された
  • 娘が「学校へ行きたくない」と言った理由 - バンビのあくび

    木曜日のこと。 娘が「あんまり体調が良くないから夕ご飯をべないで寝たい」と言った。 「そう?それなら早く寝なさいね」と私が言うと、娘はいつもの寝る時間より1時間以上早く寝室へ移動して眠りについた。 そして特に何事もなく、金曜日の朝を迎えた。 「体調はどう?」と聞くとふにゃふにゃと横になったまま起きようとしない娘。 熱があるのかな?とおでこに手を当ててみるも熱がある感じはしない。気分が悪いの?と聞いてみると「そんなに悪くない」と。 「じゃ、学校へは行けるね」 「いや、行きたくない」 娘はそう言うと横になったままの体をフニャフニャとさせながら、枕に顔をうずめた。 「どうしたの?やっぱりどこか悪いの?」と声をかけたら、今度はふぇ、ふぇ・・んと泣き出した。 なに?なにがあるのだ?どうした?と思い、何度か声をかけたのだが泣いているだけの娘。 うむむ。。 しばらくそっとしておいて、息子のご飯を作った

    娘が「学校へ行きたくない」と言った理由 - バンビのあくび
  • 和解だけが救いの形ではない――『聲の形』作者・大今良時氏の目指すもの/大今良時×荻上チキ - SYNODOS

    現在、『週刊少年マガジン』で連載中の漫画『聲の形』は、読み切りとして2011年の『別冊少年マガジン』に初めて掲載された際に、小学校を舞台に、いじめを受ける聴覚障害者のヒロインをけなげに描くことに対する批判も含め、読者から様々な反応が生まれた作品だ。「なにがそんなにヤバいのかまだよくわからない」と語る作者・大今良時氏。大今氏は『聲の形』で何を描こうとしているのか、学校生活をどのように過ごしていたのか、荻上チキがインタビューを行った。(構成/金子昂) 荻上 お会いできてうれしいです。『聲の形』は様々な読み方ができる優れた作品で、楽しんで読んでいます。特に、いじめの構造を端的に抉り出しているな、と思いました。多くのいじめ描写は、いじめっ子をわかりやすい悪者として描くことが多いんですが、いじめっこ/いじめられっ子というのは固定的なものでもないし、教室内の秩序の在り方によって、流動的に発生してしまう

    和解だけが救いの形ではない――『聲の形』作者・大今良時氏の目指すもの/大今良時×荻上チキ - SYNODOS
  • 埼玉県の私立受験の裏事情 - はてな村定点観測所

    2014-06-10 埼玉県の私立受験の裏事情 大学時代に埼玉県の学習塾の塾講師をやった 大学時代、埼玉県の進学塾で塾講師のアルバイトをしていました。 大東文化大学の学生だった僕と同時に慶応義塾大学の学生も応募したけど、筆記試験と面接の結果、慶應義塾の学生は落ちて僕が採用されました。担当教科は中学の国語科。 講師を始めた最初の頃は、慶應義塾志木高等学校とか東京のICUなどの高校の受験を目指している中学生のクラスの学習指導を担当しました。その生徒達は元から基礎学力が高く吸収が早くて授業が比較的スムーズだったのですが、「今度、新校舎を立ち上げるのでそこに赴任してほしい」と言われて新校舎に配属になりました。 新校舎は学級崩壊が起きている学校の近くに立地していて、その地域ではこの塾の知名度が低いので、入塾テストの結果などで通常は塾側でお断りしているような学力の低い生徒も多く受け入れることになりまし

    埼玉県の私立受験の裏事情 - はてな村定点観測所
  • 不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない

    できる営業職だった父の背中を見て育った。 学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。 それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。 その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲

    不器用で内向的な人間が幸せに生きられる場所なんてこの世にない
  • 溢れんばかりの愛を

    友人らしい友人はいない。恋人もいない。今まで友人らしい友人ができたこともないし、恋人ができたこともない。ぜんぶぜんぶ、俺自身に責任というか、原因がある。でもそれを深く追究したことはないし、これからもするつもりはない。そんな、恐いことはしない。ただただこうして、逃げるように友人も恋人もいない人生を歩いていく。 でももちろん、それで満足なわけがなくて、やっぱり友人も欲しいし、恋人だって欲しい。家族はいるけど、それじゃ物足りない、満たされない。 小学生だった頃、よく二人で話していた女の子がいた。友人と呼べる関係ではなかったと、今では思う。あの頃の俺はきっと、その女の子に淡い恋心みたいなものを抱いていた。だってその女の子くらいだったから。俺とそんなにたくさん話してくれるのは。が好きな娘だった。もう顔はよく思い出せないけど、名前ははっきり憶えている。その娘と交わした会話も、いくつか憶えている。毎日

    溢れんばかりの愛を
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