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史料とHistoryに関するkana321のブックマーク (2)

  • マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か

    ベリーズの静かな森にたたずむ深い泉に、古代マヤの人々に“干ばつカルト”が広がっていたことを示す遺跡が眠っていた。マヤの人々は、文明国家が滅びないようにと雨の神に供物と祈りを捧げたようだ。 今回、考古学者のグループがベリーズのカラ・ブランカで発見したのは、水の神殿の遺跡だ。小さな広場があり、朽ちた小屋と小さな2つの建造物の名残がみられる。中心となる建造物は、人々がマヤの雨の神や地下界の悪魔に供物を捧げたとみられる深い泉の淵にひっそりと建っている。 ベリーズのカラ・ブランカにある泉を探索した結果、干ばつ期に神への供物が増えていたことがわかった(Photograph by Tony Rath Photography) 遺跡からは、古代マヤ文明の崩壊期に干ばつに見舞われた人々の信仰が見てとれる。ピラミッドを築いたマヤ文明は、長きにわたり中央アメリカの広範囲で繁栄したが、西暦800年以降、ほとんどの

    マヤの水の神殿を発見 “激動の時代”の爪跡か
    kana321
    kana321 2015/02/03
    マヤの人々は聖なる泉に供物を捧げ、雨の神に干ばつの終わりを願った
  • 黒塗りせず「昭和天皇実録」公刊へ…宮内庁方針 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮内庁が24年がかりで編修作業を進めている昭和天皇の生涯の動静を記録した「昭和天皇実録」が今春にも完成し、新年度から順次、公刊される見通しとなった。 戦前から戦中、戦後の激動期を含めた昭和天皇の初の包括的公式記録で、一部を消す「黒塗り」はしない。新資料も含まれ、昭和史研究の基礎資料として専門家が注目するだけでなく一般にも高い関心を呼びそうだ。 天皇実録は元々、完成時の天皇に献上するために作られており、ほぼ同時期の公刊はされてこなかった。明治天皇紀は1933年(昭和8年)に完成したが、刊行は35年後の68年から。大正天皇実録は、情報公開請求により、完成から約65年後の2002年から11年まで、4回に分けてようやく公開された。当初宮内庁は、昭和天皇実録の早期公開に消極的だったが、「国民の財産でもあり、昭和天皇の事績を広く知ってもらうべきだ」として方針転換。公刊に伴う費用として2014年度予算に

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