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国語と学校に関するkana321のブックマーク (2)

  • なぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか? - 僕と本と未来

    僕が初めて、なんで学校の国語のテストの答えが一つなのか疑問に思ったのは小学校高学年とか中学校一年の時とかだったと思う。僕はこの疑問は強く残っている。 何でかというと国語のテスト(小説の記述)の答えが返ってきたとき、僕が一生懸命考えて、ものすごく自信があった答えを✖にされたことがあって、僕は先生に自分がどのように文章を解釈し、このように考えたからこの答えを書いた、と言いにいって、なぜ僕が間違っているのか聞いたことがある。 まあ、結局僕の解釈は違うと言われ、✖のままだったんだけど、その時僕は、「なんでなんだよ」ってすごい理解されない悲しい思いをしたのを覚えている。(まあ答えが✖のままなのは当たり前か、コイツ単純に読解力ないだけじゃね、とかは思わないでほしい、まあ、そうかもしれないけど) でも何で国語の答えって一つなんだ? 小説とかだと解釈ってたくさんあるんじゃないのか? 人の気持ちを書かせる記

    なぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか? - 僕と本と未来
  • 国語の先生に問いたい「本当に筆者はそんなこと考えてたの?」 : らばQ

    国語の先生に問いたい「当に筆者はそんなこと考えてたの?」 国語のテストを受けると、こんな感じの出題があったと思います。 「筆者が意図するところは何か」「筆者が当は伝えたかったことは何か」 その模範解答を見て、当に筆者はそんなことを考えて書いたのかな?って疑問に思ったことはないでしょうか。 海外でも同じことを思う人は多いようで、人気となっていた図をご覧ください。 あるあるある、って言いたくなりませんか。 もちろん当に筆者が意図していることもあるでしょうが、いちいちそこまで深く考えて書いてるのか、筆者に直接聞いてみたくなるときもあるのではと思います。 アメリカの国語、つまり英語の読解でも、同じような疑問を持たれているのも、おもしろいところですよね。 このグラフを見ての、海外掲示板のコメントを抜粋してご紹介します。 ・英語の教師だが、この図はまったくもって正確だ。文学の世界で多くの著者が

    国語の先生に問いたい「本当に筆者はそんなこと考えてたの?」 : らばQ
    kana321
    kana321 2013/12/09
    道徳よりも答えが難しいね…
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