コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
「了解」は失礼か? - アスペ日記 「目上には「了解」ではなく「承知」を使う」は誤用 - あの頃の僕らは胸を痛めてブギーポップなんて読んでた 目上の人に「了解」は失礼? NHKニュース はてなブックマークで盛り上がっていた「了解は失礼」談義が、NHKニュースで取り上げられていてびっくり。NHKによると、了解を目上の人に使うのは失礼に当たる、という価値観はここ10年くらいに広まったのではないかと推測されています。ビジネスで電子メールを使用し始めた頃から「了解」を軽い表現に受け取る人が増え、その結果「了解は失礼」であるというマナーが生まれたのでしょう。 個人的には、「了解」と「承知」は意味が違うのだから、失礼とは関係なしに使い分けるべきだと考えます。 iPhoneのスーパー大辞林((第三版を元に増補されている))で「了解」と「承知」を引用したものが以下。 了解 事情を思いやって納得すること。理
思い切って、リベラルアーツでいうところの、文法学・修辞学・論理学をやったらどうだろうか。 文法学まず、文法学。 現在の国語の授業における文法論は特殊だ。 一応、中学で現代文の文法を、高校で古典の文法をならったけど、あれ意味がないように思う。 辞書と文法書さえ手にすれば、ドイツ語だってフランス語だって、素人でもなんとか作文はできるけど、その逆にアメリカ人に中学日本語の文法書と日本語の辞書を与えて作文が出来るとは思えない。 江戸時代の学者が、平安時代の文章を解釈するために成立させた学問がベースになっているためだろうけど。 思いっきり刷新したほうがいいと思う。 言語学的な内容も盛り込みつつ、日本語学校で教えるような実際に即した日本語教育というのが着地点かと。 修辞学ディベートとプレゼンを国語の枠で教えたほうがいい。 というか、なんで義務教育で今までなかったのか。 論理学国語教育に「論理的に考える
小論文を書かなきゃならなくなって、急に「評論用語」を詰め込もうという人がいるけれど、そうした抽象語のコアになる部分は、実のところもっとずっと以前に登場している。 学校でいえば、すでに授業の説明や教科書の記述にもよく出てくる。 先生の言うことが分からない、教科書に書いてあることが分からない、とすれば、そうした抽象語のコアになる部分が分からなくなっていることが多い。 しかし、この抽象語のコアになる部分は、それほど多くない。せいぜい60〜70語くらいだ。 さて学習の場面に頻出の、抽象語のコアになる部分を抜き出して、さらに小学1〜2年生でもわかる日常語から、どのように展開/発展してきたものかを図解した表がある。 たとえば「推論」ってどういうこと? と思ったら、「〜だろうと思う」に、 あるいは「認識」って何よ? と思ったら、ああ元は「わかる」なのかと、確かめることができる。 これから抽象語を学ぶこと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く