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生き方と雑記に関するkana321のブックマーク (5)

  • 【不倫肯定論】所有は人間の自由を剥奪する。ー 「その人を使って自分を幸せにしたい」のか「自分を使ってその人を幸せにしたい」のか。 - いばや通信

    私の知人カップルが面白い契約(?)を結んでいる。それは「お互いに、他の異性と付き合っても良い(もちろんセックスもOK)」というものであり、恋愛において『所有』という概念を持ち込まない『まだ名前の与えられていない新しい関係性』は成り立つのかを試して(?)いる。 また、私の周りには浮気不倫をしている人たちがたくさんいる。印象的なのは、決して彼らが「火遊び」や「憂さ晴らし」でそれをしている訳ではなく、気で相手のことを愛しているということだ。人は、時として同時に別々の人間を同時に好きになることがある。主人のことも愛しているが、新しく現れた別の男性を愛してしまって苦悶している子持ちの主婦の知り合いもいる。 今の私には特定の彼女はいない。稀に、夜中にさみしさを覚えた時などに「彼女がいたらいいな」と思うこともあるけれど、(自分の欲求について深く考えてみると)もしかすると欲しいのは別に特定の恋人ではな

    【不倫肯定論】所有は人間の自由を剥奪する。ー 「その人を使って自分を幸せにしたい」のか「自分を使ってその人を幸せにしたい」のか。 - いばや通信
  • 「好き」の劣等生 - 旧 はてブついでに覚書。

    子供のころからやる気であるとか、精神力であるとか、エネルギーとかと無縁で 思い出すとあだ名が「平和」あげく「省エネ」だったことすらある私ですが、 ついにここ数年ですかね、起きると全てがリセットされていて、シャワー浴びながら 「自分はなんで生きてるんだっけ?」と問いかけるところから一日が始まるようになりました。 別にではなくてですね(極端に盛り上がらない代わりに盛り下がりもしない情緒の幅よ)、 寝てたら幸せだったのに私なんでいま起きてるんだっけ?みたいな。 まあシャワーを浴び終わると解決してるんですけどね。 答えを思い出したとかじゃなく、シャワーで体温が上がって身体が起動するので、起動するまえに感じていた「なんで」とか忘れる。 で、毎朝自分に問いかけるのもどうなのとやっと最近、違う人種だと思っていたエネルギーのある人たち、を観察するに、 やっと気付いたんですが世の中、自分が好きなことをやっ

    「好き」の劣等生 - 旧 はてブついでに覚書。
  • 女性が32歳になったら見直すこと - yuki's blog...

    2013-12-17 女性が32歳になったら見直すこと 自分のこと その他 32歳。  もう20代が終わってちょっと時間が経ち、大学生でもなくなったあたりから10年。 そんな女性が、改めて見直すといいのではと思うことをまとめてみました。 というか私が見直したことをまとめました。 服 32歳の女性が着て、恥ずかしくないかな?と、一度客観的にチェックしました。 私の場合、妊娠期間と産後の育児期間を入れると約2年まともな服を着ておらず、改めて自分の持っている服を見直すと、それは2年前のもの。 20代の気持ちで購入した服も多いので、改めて確認したところ、 この花柄はさすがにきついかな? とか、 このAラインのワンピースは無いな とか。 出てくる出てくる。 好きな服を着るのは自由なので、プライベートはまた別として、 オフィスや他人と関わる時に、痛いと思われるのはやっぱり嫌で。 東京には、30代のOL

  • 自分を「ダメ人間」だということをわざわざ言語化する人は、本当に自分がダメだとはわかっていない - 陸マンボウのブログ

    2013-11-19 自分を「ダメ人間」だということをわざわざ言語化する人は、当に自分がダメだとはわかっていない 眠れないからブログでも書く。 twitterとかで、自分のことを「ダメ人間」であるとか、「死にたい」とかいうことをわざわざ言う人がたまにいたりする。 けれど、こういったことを言う人というのは、全く自分のことをダメ人間だと認識できていないし、死にたいと心の底から信念を持って言っているわけではないのではないかと思う。 というのも、僕は最近になってようやく少しずつ自分のことをダメ人間だとわかってきたのではないかと思っているが(もしかしたら自惚れかもしれないが)当にそう思うようになると、わざわざそんなことについて言及するのがバカバカしくなってくるのである。 なぜなら、人間は自明であることについてはわざわざ言及しないからだ。 例えば、現代日に生きている僕らは、「僕らには言論の自由が

  • 恨みとか後悔とか - 24時間残念営業

    2013-01-10 恨みとか後悔とか 今日のはだらだらと書く日記です。まあ自分語りというかそういうの。 今朝方、家に帰って「加齢で得たもの、失ったもの」っていうエントリをほとんど完成近くまで書いたんだけど、途中でメシったらどうでもよくなって消した。それでついつい加齢ということについて考えていた流れで、いろいろどうでもいいことを思ったりしていた。 ところで俺は42歳で、自営業者である。今後は死ぬまでたぶん転身ってことができない。まあ70や80まで生きる機会でもあれば話は別かもしれないが、まともに体が動く限りはこの近辺で生活を続けることになる。つまり俺の人生はすでに決定している。 基的に後悔ってのはあまりしない人種だと思っていた。たとえば同じクラスの女子と手つなぎ下校したかった、みたいなかたちで恨みは残存するが、それは後悔ではない。後悔ってのは「あのときこうしておけばよかった」ということ

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