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近代とドイツに関するkana321のブックマーク (2)

  • バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の歴代君主まとめ

    ヴィッテルスバッハ家前史ヴィッテルスバッハ家はドイツの名門で、主にバイエルンを738年に渡って統治した王家として知られる。現在のドイツ南部一帯バイエルン州は遡ると六世紀、フランク人の部族アギロルフィング家の統治に始まり、八世紀、タシロ3世(在位:749~88)が小ピピンに臣従し、その後シャルルマーニュに反旗を翻したことで追放され、以後カロリング朝東フランク王国、ルイトポルト家などを始め、統治者が次々と入れ替わった。 ヴィッテルスバッハ家の統治下となるのは1180年。当時バイエルン公は勇名で知られたザクセン獅子公ハインリヒ3世で、獅子公はイタリア遠征を巡って赤髭王(バルバロッサ)こと神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(在位:1152~90)と対立、怒った皇帝は獅子公からバイエルンを取り上げて、ヴィッテルスバッハ家のオットーに下賜し、彼はバイエルン公オットー1世(在位:1180~83)となった。以

    バイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の歴代君主まとめ
  • 十八世紀プロイセンの特徴 | Kousyoublog

    セバスチァン・ハフナー著「プロイセンの歴史 伝説からの解放」では十八世紀のプロイセンの特徴について、「シュレジエンのドイツ学者でありスラヴ学者であるアルノ・ロボスの著作『ドイツ人とスラヴ人』(一九七四年)」(P64:同書は未邦訳)から引用して、『これ以上的確に要約することはできない』(P65)と評している。 プロイセンは当時、規律、服従、軍事教練、非の打ちどころなき官僚制、忠実な貴族階級、厳格で啓蒙的で人道的な司法、差別無き理性、完璧な行政機構、禁欲を奨励し、カルヴァン派とプロテスタント派の刻印を刻んだピューリタニズム、さらにコスモポリタン的で宗派に拘泥しない自由思想的傾向において、きわだった国家であった。それぞれまったく異なる四人の君主によって作られた多様な理念の一大集合体が、王冠と領土という観念のもとに一体となって出現した。プロイセンの特徴は、民族によって結ばれた国々とは対照的に、自ら

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