Derrick Mayが『ele-king』編集長の野田努をインタビュー
Derrick Mayが『ele-king』編集長の野田努をインタビュー
この数年、若いアーティストに接してしばしば感じるのは、とにかくきちんと自分たちのことを説明する、ということだ。そして、そう感じる相手はたいてい25歳前後の人びとだったりする。乱暴な世代論を振り回すようで恐縮だが、彼らのことを「プレゼン世代」と呼んでみてもいいだろうか? これは三田格さんがずいぶん前にふと口にされた言葉で、どんな意味でどんな対象を指すものだったかは覚えていない。けれど、こちらのインタヴューや問いかけに対して「べつに……」と靴を見つめることもなく、「言うことはない、ただ感じてくれ」とそっくり返ったりもしない、むしろエントリーシートに書き込むような慎重さと戦略性でもって回答する、ある世代のアーティストたちには、そうした呼び方を当てはめてみたくなる。村上隆『芸術闘争論』ではないけれども、音や作品を神秘化しないできちんと説明していかなければ外に伝わらないという感覚が、はじめから骨身に
『書を捨てよ、町へ出よう』のKindle版をamazonで買ってみたのは、そのときに書いていた原稿で、とある1行を引用しようと本棚を探したのだが見当たらず、そうか、先日、BOOK OFFが引き取っていった大量の本のなかに紛れ込んでしまっていたのかもしれないと思い当たったためだった。それにしても、書を買うのにも、書を捨てるのにも、家を出なくていい時代に、街へ出る理由などあるのだろうか。というか、そこには、わざわざ出ていくに値する魅力などあるのだろうか。そういえば、何をするでもなく街をぶらつくということがめっきりなくなってしまった。最近は、もっぱら、家から目的地へ、それこそ、ハイパー・リンクのように移動するだけだ。または、歩いていても、街並よりスマート・フォンの画面を眺めている時間のほうが長いかもしれない。そんなことを考えながら、ふと、iTunesを立ち上げ、約40年前の楽曲と2012年の楽曲
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