フライング・レザーネック海兵隊航空博物館のHPを検索していて 一人の帝国陸軍軍人にまつわる資料を見つけ、わたしは強い衝撃を受けました。 彼は、フィリピンにおける日本軍の侵攻を阻止する アメリカ海兵隊の航空機に乗っていました。 捕虜として捕らえられたこの日本軍の士官は、 アメリカ軍に日本軍の位置と状況を語り、攻撃に協力していたのです。 1945年8月9日、長崎に第2の原爆が投下された日、 海兵隊爆撃隊VMB-611のPBJ-1Dミッチェル爆撃機と 海兵隊戦闘隊VMF-115のF4Uコルセア戦闘機は、 ミンダナオ島ザンボアンガのモレット飛行場から 帝国陸軍原田中将の司令部への攻撃に向けて離陸準備をしました。 先頭機のパイロットは3人の変わった乗客の名前を フライトマニフェストに追加しなければなりませんでした。 陸軍の地上連絡将校兼攻撃調整官のモーティマー・ジョーダン少佐、 通訳のチャールズ・イ