東日本大震災の時期がやって来た。 岐阜県立学校はこのころ、入試と採点で大忙しになる。後、内示も。あの日も、そんな感じでバタバタしていた。詳しいことはかけないのだが。 テレビは「ありがとウサギ」が延々と流れていたあの頃。町中に「頑張ろう日本、頑張ろう東北」の横断幕が溢れた。 生徒指導の教師が、「東北の被災者のことを考えろ」と指導していて、普段反抗的な生徒すら、おとなしく聞いていた。 働き者の先生が「被災地の人に比べたらこれくらい」と頑張っていた。 おそらく、日本中が、被災地に対する愛情と正義感に溢れていた。 しかし、誤解を恐れずいえば、私は少し「気味の悪さ」を感じていた。 何か、それ以外の思想を一切受け着けない、偏狭さも感じていたからだ。 おそらく、戦時中の国防婦人会の人なんかは、こんな感じだったのではと思うのだ。「兵隊さんありがとう。」「欲しがりません、勝つまでは。」そんな標語を盾にして、