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ブックマーク / ameblo.jp/yunnkji (4)

  • 『正義感』

    東日大震災の時期がやって来た。 岐阜県立学校はこのころ、入試と採点で大忙しになる。後、内示も。あの日も、そんな感じでバタバタしていた。詳しいことはかけないのだが。 テレビは「ありがとウサギ」が延々と流れていたあの頃。町中に「頑張ろう日、頑張ろう東北」の横断幕が溢れた。 生徒指導の教師が、「東北の被災者のことを考えろ」と指導していて、普段反抗的な生徒すら、おとなしく聞いていた。 働き者の先生が「被災地の人に比べたらこれくらい」と頑張っていた。 おそらく、日中が、被災地に対する愛情と正義感に溢れていた。 しかし、誤解を恐れずいえば、私は少し「気味の悪さ」を感じていた。 何か、それ以外の思想を一切受け着けない、偏狭さも感じていたからだ。 おそらく、戦時中の国防婦人会の人なんかは、こんな感じだったのではと思うのだ。「兵隊さんありがとう。」「欲しがりません、勝つまでは。」そんな標語を盾にして、

    『正義感』
  • 源氏物語2 | yunnkji1789のブログ

    天皇の臣下の氏族は藤原氏以外にたくさんいる。 大伴氏、曽我氏、橘氏、菅原氏、紀氏、その他もろもろ、 しかし、ほとんどが没落し、唯一藤原氏は生き抜き日髄一の名家となる。近藤、遠藤、佐藤などの「○藤」という苗字はすべて藤原氏の傍流である。 そもそも藤原氏は、中臣鎌足が大化の改新のあと藤原姓を賜り、子の不比等が名乗り始めるのが始まりである。その後「南北京式」の四家に分かれ、その中でも「北家」が摂関家として絶大な力を持つこととなる。幕末の時点で約600の公家があったが、この中で昇殿を許されたのは「堂上家」と呼ばれた130ほどだった。そのうちの約90が藤原北家の庶流だった。さらに公家のトップに君臨したのは五摂家という五つの公家なのだが、五つとも北家だった。 序でにいうと、伊達氏、上杉氏、竜蔵寺氏、奥州藤原氏等、大名にも藤原北家はたくさんある。 まず藤原北家の良房の画策で、天皇家の後継争いに絡んだ勢

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  • 『いじめっこはだいたい自覚がない』

    特に苛めの首謀者に限って自分が苛めをしたと思っていない、いわゆる「弄り」もあるが、「正当な反撃」だと思い込んでいる場合が多い。迷惑を被ったことに対する仕返しをしただけ、悪いことをしたから注意喚起をしていただけ。 結局、誰がやりだしたかなんてわからない、そんなものは鶏が先か卵が先かの堂々巡りにしかならない。 ようは自分が先だろうが相手が先だろうが人を傷つけたらダメ。 当たり前のことなんですが、わからない人が多い。 政治的スタンスは関係ない。 人のブログを荒らしまくって、「仕返ししてやった」「おとなしくなった」等と喜んでいる人がいたら、それは単なる苛め。実はよくよく見たら大して何もされていなかったってこともあるだろう。つまりムカついた人のブログを荒らして溜飲をさげただけ。 世の中最後は声の大きい人が笑うようになっている。

    『いじめっこはだいたい自覚がない』
  • 『人間の物差しは人それぞれ』

    これも、何度も書いている話だが再度書かせて頂きます。 よく、勝ち組負け組等と言われますが、勝ち負けは当にわからないものです。 私は公務員と言う立場ですが、かつてジャーナリストに憧れて新聞社の面接試験を受けたことがあります。某地方紙で最終面接でとんとん拍子に一次二次と勝ち上がったのですが、ボロが出たようでダメでした。 結局教員採用試験が合格したのでこちらの世界に来ました。 友人に夢を叶えて記者として活躍している奴がいますが、話すたびに「お前が羨ましい」と言われます。何かあったらすぐに出動、常に時間と正確性に追いつめられ、たまの不定期の休日は勉強ばかり。 教師もブラックですが、記者の辛さは大変です。 別の友人は銀行に資に就職しましたが、こちらは会うたびに「教師なんてくだらん仕事よくやるな」とばかにしてきます。 休日はタダ働き、残業代出ない、どんなに頑張っても給料増えない、出世しても校長にしか

    『人間の物差しは人それぞれ』
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