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ブックマーク / sbiaco.hatenadiary.org (2)

  • 「と」を入れてほしい - 両世界日誌

    英語の「A and B」に対応する日語は、基的に「AとBと」である。もちろんんこれは基であって、現実には後のほうの「と」は省略されることが多い。「罪と罰」が「罪と罰と」ではちょっとくどいだろう。 しかし場合によっては後の「と」を略すと意味の伝達のうえで支障をきたすことがある。 例をあげれば、 「究極的には、経験がもつ地平を露呈することのみが、世界の「現実性」と「超越性」とを解明し、さらに世界が意味と存在現実性を構成する超越論的主観性から不可分であることを証明することになる」(フッサール「デカルト的省察」より) この文の場合、「世界の「現実性」と「超越性」と」の後のほうの「と」は省略しても文意に影響をあたえない。ところが「世界が意味と存在現実性を構成する超越論的主観性から不可分」のほうは後の「と」が省略されているために文意がたどりにくくなっている。「と」で結ばれているのが 1.「意味」

    「と」を入れてほしい - 両世界日誌
  • 極私的歌謡曲論あるいはyou tube始末記 - 両世界日誌

    you tubeを見る楽しみのひとつは、自分が子供のころに出た映像をさがすことにある。思いきり後ろ向きの快楽だが、ほっといてくれ、おっさんにはおっさんの楽しみがある。こういうのは若いモンには味わえまい、とやや自嘲ぎみに開き直っておく。 さて、自分が思い出せるかぎり古い歌謡曲はなにか。それが岸洋子の「希望」と森山加代子の「白い蝶のサンバ」だった。これより古いので記憶にあるものもあるにはあるが、それはのちになって形成された擬似記憶の可能性がある。ここにあげた二曲に関しては、それを聴いた(というよりテレビで見たのだが)シチュエーションまではっきりとおぼえている。だから、この二曲をもって<私にとっての>歌謡曲のはじまりとみなしてもさしつかえないだろう。 デイトを確認すると、1970年。 そして、ニューミュージックという名前で従来の歌謡曲とはテイストの違う音楽が出てきたのがたぶん1980年前後。そん

    極私的歌謡曲論あるいはyou tube始末記 - 両世界日誌
    kanimaster
    kanimaster 2008/10/31
    すごくわかる。
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