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musicとwarに関するkanimasterのブックマーク (3)

  • 戦争の記憶、いかに次世代へ?Coccoが明かす「祖父母の教え」(琉球新報)

    「忘れなさい」 そう言われると、逆に忘れられなくなることが誰にでもあるだろう。 あれは夏の日差しが強い日だった。 祖母と曾祖母が唯一、沖縄戦のことを話してくれた日。 心が強い人で、“笑い上戸”の祖母がその時は目にハンカチを押しつけながら泣いていた。 そして言ったのだ。「この話は忘れなさい」と。 その孫娘であるアーティスト・Coccoは忘れなかった。 むしろそれはCoccoが「戦争」を語り継ぐ原点になった。 Cocco 1997年にデビュー。「強く儚い者たち」「樹海の糸」といったJ-POPナンバーから「ジュゴンの見える丘」など古里・沖縄をテーマにした歌まで幅広い楽曲を世に送り出してきた。2021年春のNHK連続テレビ小説のヒロインに決まった清原果耶のファーストシングルの作詞・作曲・プロデュースも手がける。 たった一度。祖母の証言 太平洋戦争で日唯一、住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄戦。4

    戦争の記憶、いかに次世代へ?Coccoが明かす「祖父母の教え」(琉球新報)
  • ヒトラーのキンタマ - Wikipedia

    「ヒトラーのキンタマ」(Hitler has only got one ball、ヒトラーにはひとつしかキンタマがない )は、ケネス・アルフォード作曲『ボギー大佐』に連合国の敵であるヒトラーをバカにする歌詞を付けた歌である。第二次世界大戦中のイギリス軍兵士の間で広まった。歌詞はナチス・ドイツの指導者を揶揄する四行詞であるが、さまざまなバリエーションがある。 有力なナチ党指導者のヒトラー《1937年撮影》 『ボギー大佐』の作曲者ケネス・アルフォード《1944年撮影》 アイルランド系イングランド人の情報筋にして広告業のドノー・オブライエン(英語版)の自伝『Fringe Benefits』によると、この歌の起源はドノーの父でやはり広告代理店業であったトビー・オブライエン(英語版)が、1939年8月にイギリスのプロパガンダとして書いたものとしている[1]。 この主張するところによるとオリジナル版は

    ヒトラーのキンタマ - Wikipedia
    kanimaster
    kanimaster 2009/08/30
    クワイ河マーチの替え歌いろいろ。
  • ▼いつか、偏見の、彼方に | イノレコモンズのふた。

    いる誰かに届くと信じてましたが、 ようやく届いたようで、ほっとしました。 すでにご存知の方もいらっしゃると 思いますが、レバノン戦争の時に、 イルコモンズがYouTubeにアップした キース・ジャレットの「虹の彼方に」と ベイルート市街の空爆映像のマッシュ アップムービー「SOMEDAY OVER THE WINDOW」について、今から 一月ほど前に、このムービーに対する 最初のコメントとして、こういうコメントが つきました。 「ジャレットの音楽を、テロリストであるアラブの大儀のために誤用するなんて、 よくもまぁ、そんなことができたもんだ。お前はきっと告発されるだろう」 (How dare you misappropriate jarrett's music to support your terrorist/arab cause. You should be sued.) いうまでもなく

    ▼いつか、偏見の、彼方に | イノレコモンズのふた。
    kanimaster
    kanimaster 2006/10/02
    キースの意見を聞いてみたい。
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