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g崇德とg永昌に関するkanototoriのブックマーク (1)

  • 明末清初の戦い

    中国遼東地区の建州女直を統一したアイシンギョロ・ヌルハチ(1559〜1626)は、イェヘを除く他の女直諸部を征服すると、1616年、ハンの位に即位し国号を金(後金)と称した。明は当初はヌルハチに対して懐柔策をとっていたが、後金の勢力が増すにつれ両国の対立は激化する。1618年2月、ついにヌルハチは明に対する七大恨を天に告発し、明との戦争に突入した。 ヌルハチは自ら兵を率いて国境を越え、1618年4月15日に李永芳指揮する撫順城を攻略し、救援に駆け付けた張承胤率いる1万の明軍を壊滅させた。さらに7月22日にも再び明の領内に侵入し清河城を攻略して城内の約1万の明兵のほとんどを殺傷する。 この事態に対して明は人事を刷新し、文禄・慶長の役に経略として参戦した楊鍋(?〜1628)を兵部左侍郎・遼東経略に任命した。楊鍋は、1619年2月11日に遼陽で出陣式を行い、動員した10万の軍勢を4路に分け、

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