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2012年2月17日のブックマーク (2件)

  • 差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版

    産経新聞が排外主義と在日外国人差別を推奨しているのは良く知られている事実ですが、このような差別主義者に限って自らの差別的言動が差別とみなされないための言い訳を必死で考え出します。 普通の人なら差別だと指摘されれば、まず自身の言動を省みて差別と解される部分がなかったかを考えるわけですが*1、頭に血が上っている人、差別と言われることを知ってて差別している人、自身が批判されること自体考えられない自己過信の人などは、差別だという指摘に対して「これは差別じゃない」という回答が先に形成されて、後付で”差別じゃない”と言い張るための根拠を探し始める傾向があります*2。 この差別正当化の根拠に便利な使われ方をされるのが、「法律」*3です。 1.法律上、同じ権利を持っているから差別じゃないという主張 2.既存の法律が差別じゃないと主張している根拠を借用 「1」は、差別の実態に対応できていない法律文面上の虚像

    差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 「死を選ぶ権利」について - 琥珀色の戯言

    参考リンク:安楽死法 ‐ 死を選ぶ権利 --- 駒沢 丈治:アゴラ−ライブドアブログ 病院で医師に見守られながら苦痛を伴わない安らかな死を得られるとしたら、わざわざ山手線に飛び込んだり、硫化水素を発生させたり、ビルの屋上から飛び降りようという人は少なくなるはずだ。人にとってはもちろん、周囲の人たちや社会にとっても、そのほうが好ましい選択であると思う。 末期医療の現場においても、安楽死は意味を持つ。死が避けられない、ただ死を待つだけの患者を集中治療室に入れ優秀な医師のリソースを消費するのは、社会全体にとって大きな損失だ。高度な医療設備は回復が期待できる患者にこそ利用すべきであり、優秀な医師もまたその存在によって生死が分かれるギリギリの現場に投入してこそ意味がある。 この記事と、この記事に共感する人たちのコメントを読みました。 けっこう賛同する人が多くて、ちょっとびっくり。 「安楽死」って、

    「死を選ぶ権利」について - 琥珀色の戯言
    kaos2009
    kaos2009 2012/02/17
    そもそも、いまの日本の緩和医療のレベルで言うと、「不治の病」であっても、「苦痛がひどくてしょうがない。死なせてほしい」という状態が長期間続くケースは、そんなに多くはない