顔をしかめた通称「しかみ像」は、徳川家康が人生最大の敗戦「三方ケ原の戦い」を忘れないよう戒めのために描かせたというのは創作―。しかみ像の定説を覆す新説が近年、主流となっている。作品を所蔵する徳川美術館(名古屋市)や、画像を基にした立体像を展示中の浜松市博物館は、画像と三方ケ原の戦いを関連付ける根拠はないと説明している。 しかみ像はこれまで、家康が元亀3(1572)年、現在の浜松市が舞台になった三方ケ原の戦いで武田信玄に大敗した後、家臣の制止を振り切って出陣した自身の慢心を忘れないように、みじめな姿を描かせた絵画として知られてきた。失敗を反省し、天下太平につなげた家康の人生譚(たん)の象徴として広く受け入れられてきた。 新説が浮上したのは2015年度。当時、同美術館職員だった原史彦さん(55)=現名古屋城調査研究センター主査=が口伝とされてきた由来について再調査した。 しかみ像は紀伊徳川家か