塩村文夏が都議会で、「産めないのか」や「自分が早く結婚すればいい」と野次を受けたことが問題になっている。女性手帳の時と同じで、またあることが置き去りにされている。女性手帳の時には、産む産まないは女性の権利で、女性の自己決定権をしっかりと教育する必要があるなどと言われていた。塩村文夏の野次でも、またその問題が繰り返されている。産む権利の女性の自己決定権を声高に言う時に、常に対立してきたのは優生思想で、障害者の存在だ。優生思想と日本の女性運動に首を突っ込んだ者に有名なのは、平塚らいてうだ。 平塚らいてうの「避妊の可否を論ず」では、「優生学的立場から、法律によってある種の個人に対し結婚を禁止したり、断種法の施行を命じたりする事は我国でも今すぐにでも望ましいことです」と言っている。日本の女性運動は優生思想と密接に結び付き、共に今まで「発展」してきた(現在でも、平塚らいてう研究の米田佐代子のらいてう