ついったからの転載・改稿。 上遠野浩平「ブギーポップは笑わない」から始まった、一連の作品――いわゆるブギーポップシリーズは、同時代文学として多くのロスジェネ世代から支持されたのだが、それは何故だったのか、ということを語ってみる。 ブギーポップシリーズの登場人物たちの多くは、物語の中で、自己が置かれた状況の本質や大局から一貫して疎外され、その過程でさまざまなものを失う。彼らの物語はそれぞれの個別的な体験であり、ブギーポップを巡る物語はそうした小さな物語の編集に拠って成立する断片の集合体である。 彼らは、社会の分子化による多様化とそれによる超越的審級の衰退に伴い、事物の本質性(あるいは事物の本質性という幻想)を経験できなくなり、結果として世界を見失った「ぼくら」の世代の象徴だ。その悲哀を打ち破るためには「あえて」「世界の敵」となり、それによって事物の本質性へとアクセスし世界を回復しようとするロ