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thinkとcommunicationに関するkataのブックマーク (2)

  • 体育会という議論手法 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 空気が読めない人が増えている 正しい論理ばかりまくし立てたってしょうがない。 議論というのは、論理だけでは勝ち負けは決められない。 肺をみる医者。骨をみる医者。外科と内科。先輩と後輩。 集中治療室では、様々な立場の人が、様々な「看板」を背負って毎朝のミーティングに臨む。 誰もが負けることは許されない。医者なんて面子が全てだから、どんな議論でも勝ちにいく。 議論は大いにしてほしい。それはお客さんのためにもなるから。でもチームが瓦解することは なんとしてでも避けなくてはならない。それをやられると、お客が死ぬ。 議論の結果、みんなを勝たせる。空気の流れを操作するのはとても難しい。 win-win の関係なんて嘘だ。 あんなものはゲーム理論屋の詭弁だ

  • 興味のない人間と世間話以外の話をする技術 - matakimika@hatenadiary.jp

    興味のない人間と世間話以外の話をする技術について考えていたのだが、仮にそれがあって習得可能だったとしてもやはりどうにも不毛でしかないのかなあと思った。そんな技術について考えるくらいだったら、積極的には興味のなかった人間に興味を持つ技術や、消極的には興味のない人間と世間話以外の話をせずにすませる技術などについて考えたほうがよい。 とはいえ、ではそもそもこの興味というのはなんなのだという話が残っている。興味があれば無意義であってもおもしろく感じられ、興味がなければ有意義でもつまらなく感じる。普段なんとなく自分でどうにでもなるような領分にあるもののように思えるが、そうではない。主体的にコントロールできるものではなく、むしろ主体をコントロールされているようなところがある。大雑把に捉えるとすれば脳内衆議院の票田みたいなところだろうかな。それは内圧にも外圧にも容易くなびく。それゆえに個人としてもどかし

    興味のない人間と世間話以外の話をする技術 - matakimika@hatenadiary.jp
    kata
    kata 2005/10/17
    「興味の統制が確固としていないことこそ、健常な社会人の条件のような気もする」
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