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社会学に関するkatharsis1721のブックマーク (5)

  • 備忘録

    Data Visualization | Kaggle 続きを読む ケインズ 説得論集 作者:ジョン・メイナード・ケインズ日経済新聞出版Amazon ケインズの『孫の世代の経済的可能性』では、「技術的失業」という概念が取り上げられる。これは、省力化のペース速過ぎ、労働力の新たな用途を見つけ出すことができないことで発生する失業のことである。近年、AIの活用が進むことで雇用が失われることを懸念する議論があるが、これも技術的失業に対する懸念とみることができる。 一方、ケインズは人間のニーズを絶対的/相対的に二分割し、前者についは、それが満たされる時点がくる、さらに当時から百年後、すなわち2030年において経済的にみた生活水準が8倍になると仮定した場合、人間生存のためのあらゆる経済的な課題*1は解決されると指摘する。しかしその場合、問題となるのは時間の過多(聴くことはできても、歌う側に回ることは

    備忘録
  • アレクサンドル・コジェーヴ - Wikipedia

    アレクサンドル・コジェーヴ(Alexandre Kojève フランス語: [alɛksɑ̃dʁ koʒɛv], 1902年4月28日 - 1968年6月4日)は、ロシア出身のフランスの哲学者である。フランス現代思想におけるヘーゲル研究に強い影響を与えた。 アレクサンドル・コジェーヴの名称はフランス語での読み方であり、ロシア語では、アレクサンドル・ヴラジーミロヴィチ・コジェーヴニコフ。 フランス・パリの高等研究実習院で1933年から1939年まで行われた、ヘーゲル『精神現象学』についての講義は、後のヨーロッパにおけるヘーゲル復興に大きな影響力を与えた。この講義の聴講者には、ジャック・ラカン、ジョルジュ・バタイユ、レイモン・アロン、エリック・ヴェイユ、ロジェ・カイヨワ、メルロ=ポンティ、アンドレ・ブルトンなどがいる。ここで提示されたヘーゲル像は、彼らによって後のフランス現代思想へと受け継がれ

  • 「最後の人間」とは、主体性を失った消費を繰り返すだけの存在に落ちた人間を意味するニーチェの言葉である TORA

    「最後の人間」とは、主体性を失った消費を繰り返すだけの存在に落ちた人間を意味するニーチェの言葉である http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/383.html 投稿者 TORA 日時 2005 年 12 月 13 日 13:43:55: CP1Vgnax47n1s 株式日記と経済展望 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu108.htm http://blog.goo.ne.jp/2005tora/ -------------------------------------------------------------------------------- フランシス・フクヤマ著、渡辺昇一訳 『歴史の終わり』 「最後の人間」とは、主体性を失った消費を繰り返すだけ の存在に落ちた人間を意味するニーチェの言葉である 200

    katharsis1721
    katharsis1721 2009/05/17
    歴史の終わり、コジェーブについて記述
  • 独学ノート

    独学ノート † 引っ越し予定…というか、全面改定予定。pukiwikiからmediawikiへの移行を思案中。 ↑ ここは? † 理系バカが「生涯学習」的発想ではじめた勉強ノート。というか、雑多なメモ・寄せ集め・コピペ。かなり、てきとーであり、修正しないとまずい記述も多々あります。 内容の正確性については、まったく保証しません。 すべてのページへのリンクを許可しています。報告義務はありません。 パソコン/携帯・モバイルのどちらでも、同じURL( http://note.masm.jp/ )から閲覧できる…はず。 連絡先 : 意見・質問などありましたら、こちらのフォームから。

  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

    明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、当に楽しい6年間でした。 最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生はしか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社もが売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先

    阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology
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