2024年5月21日のブックマーク (1件)

  • 日本を「敗戦必至の戦争」に巻き込んだ男の正体

    1937年の「盧溝橋事件」いったい何があったのか? 昭和12年(1937)7月7日、北京郊外の盧溝橋付近で、日の支邦駐屯軍第一連隊第三大隊第八中隊が夜間演習をおこなっていたが、数十発の銃声が聞こえたので、人員点呼してみると、1名が戻ってこない。 「さては、中国軍に殺害されたのだ」と判断した支邦駐屯軍は、付近の中国軍と戦闘状態に入った。これが盧溝橋事件である。 しかし翌日、戦闘は終結し、現地において停戦が成立した。行方不明だった兵士も、この日の未明に無事帰還した。おそらく、日政府が動かなければ、盧溝橋事件はこのまま終息したはず。もちろん、成立したばかりの近衛文麿内閣も、事件の不拡大方針を唱えていた。 一方、陸軍参謀部と陸軍省内では、大陸へ兵を増員するかどうかで意見が割れていた。だが、まもなく軍では出兵派が優勢になり、近衛内閣に派兵を求めるようになる。彼らの言い分は、「中国軍が40万人の

    日本を「敗戦必至の戦争」に巻き込んだ男の正体
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    katomo_00 2024/05/21