耳鼻咽喉科は花形だった!? 30年前、耳鼻咽喉科は一人前に仕上がるのが早く開業するにもそれほどリスクがないと思われていたためかどうかは知らないが、新卒には人気の入局先であった。 ボクが入局した昭和61年。その年に順天堂の耳鼻科に入局した仲間は、I川・H川・斉○・縄○・深○・九○・Y川、そして自分の8人であった。1学年90名+アルファの時代であったから卒業生の1割弱が耳鼻科医を指向していたわけだ。当時の愛媛大学の耳鼻科なんかは新入医局員の数が年によっては17名とか、内科よりも多かったくらいだ。とにかく耳鼻科医になりたいと若い医者が皆思う そんな時代だった。ボクは、そうした沢山の仲間の中で、自分なりの個性を発揮できる道を見つけることができていま現在がある。 ところがどうだろう臨床初期研修制度がはじまると耳鼻科の門戸をたたく若者はいなくなった。当時と比べるとその凋落ぶりははなはだしい。もちろん慈