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人生に関するkawabatanoodorikoのブックマーク (5)

  • 灘高 元生徒会長 城口洋平の頭脳 () @gendai_biz

    最高の中学、高校、大学を卒業し、さらに世界最高の企業の内定を手に入れたといわれる若者。しかし彼はそこで、既存の組織に属することを止め、自分の手で企業を作ることにした。その真意は。 小6で"覚醒" 灘(なだ)中学に行きたいとは、自分から両親に言いました。小学6年生の夏のことです。動機は、テニスであの錦織圭(にしこりけい)クン(現プロテニスプレイヤー)に負けたこと。僕は当時テニスにすべてを賭けていたのですが、小6で臨んだ全国大会で2歳年下の錦織クンに惨敗した。 1年前は彼と対戦して勝ったりしたのですが、その年は1ポイントもとれないくらい、まったく歯が立たなかった。天才ってほんとにいるんだ、と思い知らされました。 それで次は勉強でトップを目指すしかない、と決意したのです。 灘中に合格すると、そのまま灘高、東大法学部と進みました。自分で言うのもなんですが、いうなれば"エリートの保守流"を進ん

    灘高 元生徒会長 城口洋平の頭脳 () @gendai_biz
  • www.さとなお.com(さなメモ): 山下達郎は「自分をガラパゴス化する」と言った

    ライブでこの言葉を聞いてから、なんとなくずっと考えている。 昨晩、岩手県奥州市での山下達郎ライブにブルゴーニュ在住の澤畠樹彦シェフと一緒にはるばる行ったのだが(と、複雑な前後事情を一行でさらりと済ますw)、被災地での熱いライブで、山下達郎はこんなことを少し照れながら言った。 「もう来年、還暦になります。これからは新機軸というよりも、自分をガラパゴス化して生きていこうと思っています」 ガラケーならぬガラミーか・・・ もちろん偏狭になるという意味ではない。 むしろ辺境化に近い。 自分の素を見つめ直し、戻る、帰る、構築し直す。ジョブズ流に言うなら「他人の人生ではなく自分の人生を生きる」。自分ならではの領域を持っていて、そこからいろいろ広げてきたからこそ。 昨晩、奥州市(水沢)の「幸寿司」で澤畠シェフと話しながらも、今晩、四の橋の「鮨心」でひとり飲みながらも、ずっと「自分のガラパゴス化」について考

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  • 良い話し手になるための6つのエッセンス | もっちブログ

    IVSでの優勝時の写真 (出典:Techwave) 今年は『PRAY FOR JAPAN』の出版やLabitの創業もあって、新聞や雑誌の取材は月に2〜3回、講演やスピーチも20回近く引き受ける機会がありました。自分でサービスを作り始めてから、投資家向けや、同世代起業家とのピッチ大会でプレゼンすることも急激に増えました。僕は、もともと人前で話すのが得意ではなく、ごく平均的に緊張するタイプの人間です。人見知りで、自分の声や振る舞いにも自信がなく、電話や写真に撮られることが当に苦手でした。上京して、社会が広がるにつれて「人前でもっと上手に話したい」と思うようになります。この記事は、僕が講演やスタートアップにおけるプレゼン(ピッチトーク)を重ねるなかで、気づいたことを備忘録としてまとめたいと思います。近況を交えて。 1.緊張しないための唯一の方法 12月初旬、京都のウエスティン都ホテルで開催され

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|「一番じゃない」澤が「世界一」に選ばれた理由(1/2)

    FIFA女子世界最優秀選手に選ばれた澤(左)。有効投票総数の48%が澤に集まり、ダントツの支持を誇った。隣はバロンドールを受賞したメッシ【写真:AP/アフロ】 2011年の夏の終わり。つい数カ月前に女子ワールドカップ(W杯)のMVPに輝いていた澤穂希は、こんなことをつぶやいた。 「わたしは、何も一番じゃないんです」 なでしこジャパン(女子日本代表)の合宿では、時折、選手の運動能力テストを行っている。持久力やダッシュ力、ジャンプ力などを測定するのだが、澤はどの種目でもトップになったことがないという。なでしこジャパンの中で、飛び抜けて得意な種目もなければ、飛び抜けて苦手な種目もない。 「だから、澤穂希という選手は、言ってみれば平均点のサッカー選手なんですよ」 この言葉に象徴される謙虚さこそが、澤を世界の頂点にまで引き上げた原動力なのだろう。 2012年1月9日(日時間10日)、澤穂

  • 『今年を少し振り返る』

    2012年までは社長を勤め上げようと決めていた。 正直、今でも、あと1年はやりたかったと思う。そしてそのあとも社長ではない立場でやっぱり全力でDeNAの仕事をしたかった。 株主や各方面でお世話になった方々は勿論だが、誰よりも、経営陣と社員に申し訳無い気持ちが強い。 大きな目標を定めて1合目を登りかけたところで、沢山の課題を残したままの退任となった。 人生とは思うようには行かないものだ。 でもその分、家族の絆とでも言うのだろうか、私はとても大事な拾い物をした。 家族と言っても子供ができなかった私たちはたった二人の小さな家族だ。 20年前に結婚してからずっと互いに苦楽を共にし、と言いたいところだが、実際は互いに全く干渉せず、もっぱら仕事最優先で、旦那の洗濯物は結婚以来一度も触ったことがない。10年ほど前、旦那が鯖にあたって朝方救急車で運ばれたときなどは、沙汰に気づかず爆睡を続け、その後パジャマ

    『今年を少し振り返る』
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