ブックマーク / kotobasm.hatenablog.jp (8)

  • 哲学の学び方 - KOTOBASM

    あるおばあちゃんが、通信制の大学に入学することになって、孫になんで今さら勉強なんてするのと聞かれてこう答えたそうだ。 何もしなくても歳はとるんだよ。 そうなのである。そして学ぶことに歳は関係ない。 むしろ学ぶことへの欲求というのは、歳を経ると増していくもので、さらにいうと哲学という学問もまた歳をとると、学びたくなってしまうものなのである。 とは言ってもだ。 漫画家の倉田真由美さんが「だめんずうぉ~か~」というマンガのなかで、西洋哲学は学問のなかで一番役に立たないと描いていたのも事実である。 でも学問というのは、役に立てる知恵がなければ、どんな学問も役に立たない。裏を返せば、役に立てる知恵があればどんな学問であっても、その人にとって役に立つ。そして哲学とは、よりよく生きるために役に立つ学問なのである。 ってなんてめんどくさい男だろうと思われるかもしれないが。 でも歳をとればとるほどなぜ哲学を

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  • ワクチン接種は使命感から - KOTOBASM

    もうみなさんは打たれたのだろうか。私は高齢者施設で仕事をしているので、同年代の人に比べ早い時期にワクチンを接種することになった。働いている施設が提携している病院に依頼し職員も接種することになったのだ。 接種するにしろしないにしろ、職場の方に誓約書を書かなければならない。私個人は接種しなくてよければ、しないに越したことはないというのが正直なところだ。だが、しないと申告すると上司と面談しなくてはならなくて、なかなか面倒なことにもなる。 誓約書には接種すると書いた。接種したくないというのは、あくまで私個人の都合であり、もしものことがあって施設の高齢者になにかあったら困る。つまりは他の人の事を考えてのことである。 社会のなかで生きているのだから、やはり個人の都合よりも多くの人の身の安全の方が大事なのである。接種しないより接種した方が他の人の安全は守れる可能性は高いのだから。それは使命感のようなもの

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  • 輪廻転生 - 昭和KOTOBASM

    輪廻転生は”りんねてんしょう”と読ませる。生は”せい”ではない。仏教用語というのは、”建立(こんりゅう)など、呉音といって漢音伝来以前の読み方をさせる。いきなりなぜ僕はこのようなことを言い出すのか。 それは大学で習ったことの復習をしているからであった。もし殴るなら顔はやめて、ボディにしてほしい。僕が籍を置く日大学通信教育部文理学部哲学専攻というところは、いわゆる西洋哲学だけをやるわけではない。 専門の必修科目には宗教学関係があって、西洋哲学と同じぐらい仏教(インド哲学)を僕は履修している。キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などはもとをただせば、同じ天地創造の神を持つセム宗教といわれる。 それらセム宗教は、死んだら天国か地獄という道しかない。死後の世界が単純なのである。ユダヤ人であった哲学者スピノザは、人は死んだら宇宙と一体になるなんて言ったものだから、ユダヤ教界隈から追放されて、大変な人生

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  • 脳と魂 - 昭和KOTOBASM

    介護という仕事をしていると、さまざまな認知症の人と出会うことになる。認知症というものにもまた、いろいろな種類があるのだが、共通しているのは、脳が原因の症状であるということだ。 人間の思考は脳だけが司るものであろうか。いちおうはそういうことになっている。そうとしかいえないともいえる。この世においては。しかしヒトは肉体と魂とに分かれていて、肉体が死んでも魂は残るという考えるヒトもいた。 その代表格がソクラテスである。だからソクラテスは、肉体と魂をもって生きるこの世において、より善く生きることによって、魂を汚さないようにしようと言った。死ぬのは肉体だけで魂は生きつづけるのだから。 魂は思考する。脳は肉体の一部にすぎない。そう考えてみると、認知症のヒトというのは、実は魂の部分で考えていることが、脳の症状によって、肉体にうまく伝達ができないでいるということも考えられるのだ。 今日のところはこれまで。

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  • 死までの思考 - KOTOBASM

    前回の日記で、飛び降り自殺に巻き込まれた方の話を書いたが、なにが悲しいかというと、巻き込まれる直前まで日常生活を送っていたというのに、前触れもなくその日常が断ち切られてしまったということだ。 その点でいえば、まだ飛び降りた高校生は死ぬという覚悟をもって飛び降りたという経緯があるだけいい。そうなのである。だからもし自分は自殺するという人がいたら、絶対に他の人を道連れにしないやり方でやっていただきたい。 どうも厭世観で自殺する人というのは、他人の迷惑を顧みない傾向にあると思われる。死んだ人を悪く言うなといわれるかもしれないが、死後の人間の存在の在り方は、いろいろな可能性が考えられるので、あえていわせてもらった。 私はこれから死ぬという思考が持てる死に方と、そうではない死に方には大きな差があるのである。自分の人生をふり返れない死は悲惨である。ただもし肉体と魂は別物で、肉体が死にかけても、思考でき

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  • 魂のゆくえ - KOTOBASM

    先日、大阪で男子高校生がビルから飛び降り、女子大生が巻き添えをくらい亡くなったという事故があった。女子大生の方は当初重体ということだったので、事態の悲惨さもあって助かってほしいと願っていたが、残念な結果となった。 人間は死んだらどうなるのか。これはまさに形而上の分野である。形而上というのはすなわち、はっきりとした形はなく、感覚の働きによってはその存在を知ることが出来ないもののことである。 なかには自分は神またはその使いだとして、天国と地獄は存在するという人間もいる。しかしそれは100%嘘である。なぜかというと、死後の世界は死なないかぎり見ることができないからである。 死は脳をはじめとした肉体の機能の停止をもってしかありえない。つまりこの世において、思考をもって死後の世界をみたというのは全部嘘ということに他ならない。 ただそれは魂という存在を否定するということでもない。魂とは肉体の死から独立

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  • 生と死の狭間 - 昭和KOTOBASM

    うちの母が先月の20日に脳梗塞で倒れて、ずっと救急病院に入院していました。命に別状はなくなり、一般病棟に移り、おかげさまで8月13日にリハビリテーション病院に転院とあいなりました。 転院につき、付き添いが必要ということで、介護タクシーに同乗しました。幸いにも倒れる以前の記憶はしっかり残っていました。ただ言葉を発するのが難しいようです。頭の中で言語化することができても、それをアウトプットすることができない。 それでも少しは言葉が出るし”はい”と”いいえ”の意思表示はできるので、ある程度のコミュニケーションがとれます。なのでリハビリテーション病院に行くまでの間に話をしました。そこで哲学を学ぶ人間の血が騒ぎ、昏睡状態の間に意識があったのか聞いてみました。 するとすでにこの世にいない母方の祖父と祖母に会ったというのです。もしかしたら昏睡状態から脱する過程における夢なのかもしれません。ここらへんの境

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  • ラーマ奥様インタビュー - 昭和KOTOBASM

    ラーマ奥様インタビュー【昭和CMで思い出に浸ろう】 いろいろな奥様が登場するけれども、みんなが共通して言うのは、うちではいつもラーマを使っていますということ。子どものころは、なにげなく観ていたけれども、大人になったいまとなっては、わざとらしさを感じてしまう。 電気カミソリのCMで「今朝剃ってきたんですけどね~」というのもあった。これも同類だ。しかし汚れた大人になってしまったなあ。これは子どものころ自分の家がいつもネオソフトだったのも要因としてあるのかもしれない。 もう一つ思われるのが、ゴールデンソフトでもネオソフトでも焼いてないパンに塗ってもあまりおいしくないだろうということ。動画に出てくるしゅんちゃんも同じような感想だったのではないだろうか。 この一般人を出してのわざとらしさと実演の手法は、脈々と現在の通販番組に受け継がれていると思われる。ただ、いまの通販番組に出ている人は、押坂忍さんの

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