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亀嵩に関するkawakatu22のブックマーク (4)

  • 道の駅 酒蔵奥出雲交流館 亀嵩

    玉峰山のふもと、温泉が湧く場所の近くに温泉活用施設を兼ね備えた山荘が出来たわけですが、元々の源泉湯の土地に道の駅も出来た。 ついでに、道の駅の名称なんですが、「酒蔵奥出雲交流館」と呼びます。 実は、地元の産物仁多米を使った地酒も復活しています。 地元の名産品や、極一部ですが、ちょっと、いやかなり離れた鳥取や岡山の名産品も置いてあります。 また、映画「砂の器」の亀嵩の駐在所を再現したセットもあり、地元の歴史や話題も同時に楽しめますね。 ここは源泉水が買える場所です。 大昔は、50cm四方のコンクリートか石製の囲いがありちょろちょろと出ていた。 右手の高い山が玉峰さんですね。 写真で見ると遠く感じますね。 私は、約30分で400メートルを登頂しましたが、こうしてみるとそこそこですね。笑い! この地図を見て頂くとお判りになると思うのですが、まさに出雲の奥の院であります。 山奥ですが、なかなかの

    道の駅 酒蔵奥出雲交流館 亀嵩
  • 亀嵩と玉峰山

    江戸時代末期島根県出身の昔の関取に陣幕久五郎(じんまく きゅうごろう)という人物がいます。 今回なぜ彼を取り上げるのかというと、出身が島根県であり、故郷のヒーローな訳ですから当然なんですが、実は彼の功績が後々高く評価されているのです。 その生まれは、時は、文政12年5月3日(1829年6月4日)、そう我が故郷の今の島根県です。正確には、江戸時代の地名で出雲国意宇郡で、現在の島根県八束郡東出雲町の出身で、名は石倉槇太郎といいます。 彼は、江戸時代末期から明治時代中期にかけて、阿波徳島藩から薩摩藩の抱え力士として活躍した江戸時代最後の横綱免許を受けた力士です。 相撲が盛んな地域と云えば東北の青森や岩手県、更には北海道などが有名なんですが、実は島根県も結構盛んなんです。その元を作ったのが彼なんです。 ちょうど彼陣幕久五郎が文久三年、第十二代の横綱となった折に、故郷の出雲地方により相撲を広め定着

    亀嵩と玉峰山
  • 亀嵩そろばんとシュメール文明

    私の幼い頃から地元の亀嵩はそろばんの産地だというのは常識であり、大抵の家には大なり小なりあった。 ただ、それが全国的に有名なステータスを持っているという事実に気がついたのはかなり遅くなってからである。そう亀嵩そろばんのネームバリューを認識したのは中学生の高学年位だっただろうか。 ただ不思議なのは、小学生のころを思い出すと、全国的にそろばん教育に積極的な地域と比較すると、そんなに所謂珠算教育は積極的ではなかった。 曲がりなりにも、この私も4級までは挑戦し受かった記憶があるのだが、クラス36人位で十数人位しか3級には挑戦しなかったような記憶がある。 何が言いたいのかというと、当時もう少し学校側で珠算教育に関してもっと推進して良かったのではないかと思う。 何せ日一のそろばんの品質と産地であるのだから。

    亀嵩そろばんとシュメール文明
  • 亀嵩と玉峰山

    亀嵩と玉峰山、我が故郷を紹介します。島根県奥出雲町亀嵩の名物蕎麦や玉峰山荘の温泉映画「砂の器」の舞台湯の神社など神話の里奥出雲の古代ロマンの歴史と名所・旧跡を探り語ります。 島根県人としては、竹島の日を絶対に忘れてはいけない。 あの韓国に我が日人の漁師たちが虐殺されたり不当に拉致されたのだから。 あの国は当に嘘ばかりで、全く逆の歴史的事実を捻じ曲げさも自分たちが加害者の曲に被害者面をするのである。 関東大震災の時や、大東亜戦争で日が敗戦の苦汁をなめている時、慰安婦にしても全てそうだ。 戦争捕虜の扱いにしても日は世界の見と云える位であった。 それを極一部の小さな過ちの例だけをクローズアップされる。 まさにアメリカによって仕組まれた戦後の体制、レジームから脱却しなければならない瀬戸際である。 特亜の工作員や不法入国した連中の子孫達も自分たちの隠れた特権を守ろうと必死である。 これに

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