2011年7月26日のブックマーク (2件)

  • テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog

    昨日、ウチからテレビが無くなりました。もちろんブラウン管式の受像機は今も部屋に鎮座ましましており、消えたのはアナログ放送のコンテンツです。深夜のバラエティー番組が好きな私がいつまでテレビ無し生活に耐えられるか試しつつ、何故私はネットに満足せずテレビを欲するのか、砂嵐の画面を見ながら考えてみました。 ◆ テレビがネットより優れているトコロ。それは「テレビは私の怠惰を許してくれる」事でしょう。 ネットには無限のコンテンツがあり、意思をもって何か調べたい時にはテレビには不可能な事を可能にしてくれてとても便利です。が、ただ退屈をしのぎたい時にも、何を見るか自分で考えて、検索して、選ばなければなりません。これが面倒です。苦痛です。 テレビは私に何も要求しません。ただスイッチを入れれば、勝手に一方的にコンテンツを垂れ流してきます。この怠惰、この愚鈍への寛容、この安逸がテレビの素晴らしさです。またコンテ

    テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性 - 水色あひるblog
    kawango
    kawango 2011/07/26
    これはそのとおりだな。
  • [ジブリ見習い日記](9)運命受け入れている吾朗監督 川上量生(寄稿連載): ジブリをいっぱい : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    映画「コクリコ坂から」も公開されました。しかし、監督の宮崎吾朗さんの話がまだでした。 吾朗監督は当にかわいそうなひとなのです。偉大な父親は家にはいなくて、ほとんど会わずに育ったといいます。父親のことは作品でしか知らないのに、まわりからは宮崎駿の息子としてみられる人生。そういう環境で育った人間がどうなるか。 吾朗さんは一流の皮肉屋になったのです。吾朗さんの宮崎駿さんや他のひとへの皮肉はとても鋭く面白いです。でも皮肉は言っても悪口はなかなか言わないんですよねえ。ぼくは対談で何度も宮崎駿さんと鈴木敏夫さんの悪口を言わせようとしましたけど、失敗しました。 そしてもうひとつ。まわりへの皮肉は言っても、自分の境遇への不満や文句は言わないんですよ。自分の与えられた運命は受け入れている。覚悟をしているのです。わがままな父親をはねのけて映画をつくるのは自分の使命だ、と。ジブリ美術館も吾朗さんじゃなきゃ完成

    kawango
    kawango 2011/07/26