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  • 摩耶観光ホテル - Wikipedia

    摩耶観光ホテル跡(2009年8月)。2002年時点の画像で屋上にあった煙突は、2004年の台風で倒壊している。また、画像右側の屋上にあったタイヤのようなものも、内部に落ちたのか見受けられなくなっている。 摩耶観光ホテルの内部 「開設当時の摩耶山温泉」とされる写真(1955年出版の文献より) 摩耶ロープウェーより(2017年5月撮影) 摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて兵庫県神戸市灘区の摩耶山中腹で営業していたホテル。1930年に完成し、1990年代に閉鎖された。その後は廃墟となったが、モダニズム建築としての価値が評価され、廃墟では珍しい国の有形文化財としての登録が決定した[1]。 摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部[2]という名称であった。第二次世界大戦前から戦中にかけて摩耶ホテル、摩耶山温泉ホテル、摩耶山温泉と変遷し、戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶

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  • 摩耶観光ホテル

    摩耶観光ホテルの歴史(文;廃墟大好き氏)  摩耶観光ホテルは1930年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として兵庫県摩耶山中に設立された。 1932年からホテルとして営業を開始し、その概観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれて親しまれた。 建物はアール・ヌ−ボー調の鉄筋コンクリート5階建てで、山の斜面に沿って建てられている為、入り口は3階から、ということになり、ロビーも3階に配置されている。 当時の施設内容としては、20畳敷きの岩風呂、舞台付きの400人を収容出来る大ホール、下の階には中ホールがあり、大堂、和・洋客室13室に加え、屋上にはビアガーデン、庭園の小動物公園、更にはローラースケート場があり、後のヘルスセンターの先駆けでもあった。 摩耶山を走るケーブルカーは戦時中「金属回収令」により、ケーブルの部品等を国事の為に差し出したり、というようなことがあったため、一時運行を休止。 その戦時中には空

  • 瓦解する包茎神

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