どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。 それはコインの表と裏みたいなものです。 荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出てきます。 荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。 怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんです。 それは生きることの推進力として、アドレナリンの沸騰みたいなモノを常に『燃料』としてるってことです。 別の言い方