ブックマーク / orion12.hatenablog.com (316)

  • 荒々しさが生む『快感』と『穏やかで温かな心』への道 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。 それはコインの表と裏みたいなものです。 荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出てきます。 荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。 怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんです。 それは生きることの推進力として、アドレナリンの沸騰みたいなモノを常に『燃料』としてるってことです。 別の言い方

    荒々しさが生む『快感』と『穏やかで温かな心』への道 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • コダワリを持たない方がいい波動的な理由 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げる方法自体は簡単です。 現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避ければいいのです。 或いは何時も穏やかで温かくあろうと心掛けて、荒々しく冷たい態度は極力取らないようにすることです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何

    コダワリを持たない方がいい波動的な理由 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「宗教は宗教、眼に見えない世界は眼に見えない世界」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思います。 どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくないからです。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。 無縁仏でも一応寺には納められてたりしますしね。 どう考えても読経も法要も一度たりとも受けてないって人の方が少ないんじゃないでしょうか? 要するに「回数の多いか少ないかはともかくとして、所謂成仏していない人であってもその大多数は仏教的な儀式としての弔いは一度くらいはされてるだろう」ということです。 で

    「宗教は宗教、眼に見えない世界は眼に見えない世界」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「自分らだけが世界の真実を知っている」という選民感 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「自分たちだけが当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。 そして、そういう人は往々にして「当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。 例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定しましょう? 大抵な人はまず「これって当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。 そこで「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とは中々ならないんじゃないでしょうか。 で、その半信半疑な人を見て「世間の常識こそ間違ってるんだよ! 覚醒せよ!」みたいな感じで『啓蒙』しだしたらどうでしょう? 周りの人達は先ずドン引きしますよね… それでもなお「オマエら、何にも分かってないんだ! 真実を分かれよ!」なんて言い張るなら相手からは憐れ

    「自分らだけが世界の真実を知っている」という選民感 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 人を見る目・モノを観る眼 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前にこんなことを書きました。 散々繰り返し痛い目にあってやっと少しだけ骨身に染みて『分かる』のが人間というものです。 頭の中で考えただけでスルスル何でもピンと来るほど人間という生き物は出来が良くないんじゃないでしょうかね〜。 「ぼぼノーリスク・ハイリターン」みたいなのを狙ってる人ほど『人間』という存在を過信している気がします。 「頭で考えて知識を積み上げさえすれば何とか出来る」と考えるのです。 繰り返し申し上げますが、人間はそんなに出来のいい生き物ではないんじゃないでしょうか? 端から出来ないことをやろうとすればそりゃ心も迷うってものです。 痛いのは誰だって嫌ですし、苦しいことは一つも経験したくありませんよね。 でも、何でも体験しなければ分からないことってのはやっぱりあるんですよね。 それでようやく体感が得られるのです。 体感を得てやっと心底ピンと来るようになります。 骨身に染みるからで

    人を見る目・モノを観る眼 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 自然の蟲と呪詛の蟲 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以前から蟲というモノについて何度か述べてきました。 ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。 蟲は人が直接発するエネルギーではありません。 物の怪やオニなどの類いともまた異なっています。 大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモ

    自然の蟲と呪詛の蟲 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂パワーストーンという名の『試金石』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアルな人々の多くがお好きなモノに所謂『パワーストーン』ってのがあります。 所謂『パワーストーン』ってのに価値を見出すのは「特定の鉱物には他の物質にはない特別で強力な眼に見えないチカラが宿っているに違いない」という考え方が根底にあるからでしょう。 ただ、生物と無生物ではエネルギーの強さも量も全然違うのです。 無生物のエネルギーは生物のエネルギーに比べて圧倒的に微弱です。 良いとか悪いとか以前にエネルギーの強さが圧倒的に違うのです。 例えば人間の想念エネルギーの値を仮に100とした場合所謂パワーストーンと呼ばれる鉱物の値は1.0~2.0くらいです。 生き物と生き物でない物の『エネルギーの強さ』の差とはかくの如きものです。 もちろん物にもそれぞれ固有の波動エネルギーは存在します。 ただ、生きている者のエネルギーに比べれば比べ物にならないほど微弱なのです。 一言でいえば『ストーン』に『パ

    所謂パワーストーンという名の『試金石』 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 現世利益と人にとって都合のいいカミサマ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。 ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが神さまだ」っていう理解です。 人間と極めて近しい存在として神さまという超自然的な存在は設定されているのです。 「人間なんて関係ないぜ!」って神さまの話は皆無とは申しませんが、ほとんどないでし

    現世利益と人にとって都合のいいカミサマ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「自然or不自然」は物事を見極める際の大切なバロメーター - 『クリアー整体ヒーリング』です

    西洋的なものの見方の根っこには「自然を超越した唯一絶対の神の命により人間が自然を征服する」という考え方があります。 殊更言わなくてもそういう考え方がいつもベースにあるということです。 で、所謂スピリチュアルっていうものにもそういった西洋的なものの見方がベースにあるんだろうと感じています。 何故ならお見受けする限り大抵何かをコントロールしようとする方法のオンパレードだからです。 心をコントロールする 「心のブロックみたいなのを解除すればそれだけでみるみるハッピーになる!」みたいな… 運命をコントロールする 「ワクワクすればそれだけで良いことが何でも際限なく引き寄せられる!」みたいな… 他人をコントロールする 「片想いの人と両想いになる魔法」とか「嫌な人間と縁を切るマジナイ」とか… コントロールしようとするのはそれらのものが自分の支配下に置くことが十分に可能だと考えてるからですよね。 不可能だ

    「自然or不自然」は物事を見極める際の大切なバロメーター - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 仮定盛りと宇宙人 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュージョンへと成長していきます。 そのイリュージョンは成長を続ければ、映画マトリックスに出でくるような物と見紛うばかりの『仮想現実』にまで盛り上がります。(その人にとってはですが) で、この仮定盛りに

    仮定盛りと宇宙人 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ちょっと不思議な誕生の話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 今更ワクワクはしませんが(笑)、明日が誕生日ということでそこら辺のことを思い出すままに連々と書いていこうと思います。 随分昔に知り合いだった方から直接お聞きした話です。 その人は今考えると霊能力のようなものを持っていたんじゃないでしょうか。 その当時の私はスピリチュアルなことにはほとんど関心がなかったので

    ちょっと不思議な誕生の話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 波動的な『人の見方』(万能感篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前『霊能者を見極める一番簡単な方法』ってタイトルて記事を書いたことがあります。 まあ、霊能者に限らず、例によって例のごとく独断と偏見による『人の見方』みたいなモノですけどね。 まぁ、霊能者にありがちな特徴を見るってことです。 所謂万能感でヤツですが… 例えば「自分は霊界の真実を全てまるっと知っている! 」とか 「自分は他に類を見ない超絶的な霊能力を持っているから、どんな強力な悪霊でも完璧に消し去ってみせる!」とか 「〇〇神社の神様とはマブダチみたいな対等な立場で親しくしている!」とか 「金色の巨大な龍がオレの守護神だ!」とか そんな『万能感』に支配されてる人が多い気がします。 以上の「」内の文章はこんな感じのこと言ってる人いたなぁと思って作文したモノで引用ではありません。 逆にいうと、引用じゃないですが似たようなことを言ってる人は結構いらっしゃいます。 「オレってスゴいぜ!」とか「わたし

    波動的な『人の見方』(万能感篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 人間は元々『不純物を含んだ存在』である - 『クリアー整体ヒーリング』です

    生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。 分かりやすい例で言えば呼吸です。 吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。 でも、呼吸というのはそこら辺にある空気をざっくり吸い込むことしか出来ません。 身体に良い成分のみを前もって選別して吸い込むなんて芸当は出来ないのです。 呼吸に限らずエネルギーの出し入れというのは全てそういう仕組みになっています。 まとめて全部取り込んでから必要なものだけ吸収して不要なものは排泄してしまうという構造です。 どんな人であれエネルギー源として様々なモノをまとめて自分の中に取り込むという作業をずっと続けています。 生まれてから死ぬまで絶えることなくね。 まとめて全部取り込む方式ですから取り込む際にその場その場で事前に分別することは出来ません。 取り込むか取り込まないか自体を決めることは可能ですがね。 であるなら当然純度100の良

    人間は元々『不純物を含んだ存在』である - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂言霊と使う人によって変化する言葉のチカラ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    言霊(ことだま)とは、日において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。 声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。 森羅万象全てのものには波動があります。 その波動はそれぞれに特有のエネルギーを生みます。 それが言葉であれば言葉としての波動エネルギーが存在します。 そういう意味でいえば言霊というのは確かに存在するでしょう。 ただ、言葉というのは人がそれを発することによって初めて強いチカラを持ち得るものです。 要は「人間の想念エネルギーが言葉にチカラを与える」ということです。 例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。 しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば何らかのチカラが生まれるってことです。 もう少し突

    所謂言霊と使う人によって変化する言葉のチカラ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心霊スポット巡りというロシアンルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『心霊スポット』と呼ばれるような場所があります。 明らかに曰く因縁がガッツリある場所もあるでしょうが、中にはそれらしく見えるただの廃屋の場合もあると思います。 ただ、そういうところでも長い間使われないまま放置され、荒れ放題になっていれば波動は下がりエネルギーは澱みます。 そうすればやがてそこの波動に見あったモノたちがやって来るようになるかも知れません。 絶対じゃないですが、ガランと空いてる空間がそこにあり波動のレベルが低い場所なら、そうなる可能性は決して低くないです。 廃病院のように人の想念エネルギーがたくさん残ってるところなら尚更です。 あと、現役バリバリの学校であっても怪談話が付きモノなのは常時人のいない広い空間があることと人の想念エネルギーがごまんと渦巻いているからだと思われます。 ネガティブな想念エネルギーとかが貯まりやすい場所ってのは怪異も起こりやすかったりするのです。 で、

    心霊スポット巡りというロシアンルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • そもそも「所謂『悪魔の契約』が何故成立するのか?」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪とギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。 ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどなどの『人外のモノ』が悪魔の契約の相手です。 『悪魔の契約』ってのは、そういったモノに呼びかけ、願いを叶えたならその代償を支払わなければならなくなるってことなのです。 『悪魔の契約』みたいなことをしたがる人ってのは古今東西大勢いらっしゃいます。 それを逆

    そもそも「所謂『悪魔の契約』が何故成立するのか?」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂『予定調和の世界』と辻褄合わせの『自己責任論』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまで『根性論』というものについて度々言及してきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 で、この根性論の仲間に『自己責任論』というのがあります。 ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ!」という考え方のことです。 つまり、「やり方さえ間違わずに努力すれば何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 この「何でも出来て当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だ」とベーシックに捉えてることを意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「この世界では何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです

    所謂『予定調和の世界』と辻褄合わせの『自己責任論』 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 不安のタネを否定しても心は『安全な場所』には行けません - 『クリアー整体ヒーリング』です

    自動車にはアクセルとブレーキが付いています。 だからこそ自由に動いたり止まったり出来るのです。 ブレーキとアクセルは二つで一つです。 どちらか一つだけならクルマはちゃんと動けません。 その二つを切り離すことには無理があります。 まぁ、普通そんな人はいないでしょうがね… 人の心でいえばアクセルはポジティブ、ブレーキはネガティヴです。 もっと砕いていえばアクセルは前に向かって行きたい心、ブレーキは現状維持したい気持ちみたいな感じです。 さて、「何故心にブレーキがかかるようになってるか?」ですが、それは前向きに進むことに対して不安や恐怖を感じるからです。 じゃあ、そのブレーキは不要であり悪なのかといえばそんなことはないのです。 人間は不安や恐怖が有るお陰で慎重さや疑問を持って考えるチカラを手に入れることが出来るからです。 もし不安も恐怖も端から全くなければ、未知なるものの危険に対してノーガードで

    不安のタネを否定しても心は『安全な場所』には行けません - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 『無知の知』がない人ほど攻撃的になりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 『想像力』とは自分の無知を知ることから始まるからです。 「オレは何でも知ってるんだぜ!」みたいな感じの人は幾ら博識であっても『想像力』が乏しいと考えて先ずハズレはありません。 で、この想像力の反対側に有るのが万能感です。 ここでいう万能感とは「この世のすべてを自分はありのままに知っている!」と感じられている状態のことです。 そういう状態に憧れ、いつかはそういう状態にな

    『無知の知』がない人ほど攻撃的になりやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けない - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動物も植物も、地球も宇宙もずっと動いています。 人間にとっても生きるとは様々な意味で動いてるということなのです。 だから、運命ってのは相対的なモノです。 すべてのモノが各自動いてるのですから、そうならざるを得ません。 それは、世の中のモノはすべて相対的に出来ているってことでもあります。 それぞれの運命は常に絡み合い、影響を与え合いながら存在してるってことなのです。 だから、人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けないのです。 運命とはある意味『交わり』とも申せましょう。 昔の人が言った『吉凶禍福動より生ず』とはそのことではないかと思われます。 つまり、人の運は人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれます。 そうやって生まれた一つの『運』が巨大なジグソーパズルのピースのよう

    人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けない - 『クリアー整体ヒーリング』です