ブックマーク / orion12.hatenablog.com (316)

  • カミサマと悪魔・魔物がセットで語られることの『意味』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。 ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが神さまだ」っていう理解です。 人間と極めて近しい存在として神さまという超自然的な存在は設定されているのです。 「人間なんて関係ないぜ!」って神さまの話はほとんどないでしょう。 じゃあ何故そん

    カミサマと悪魔・魔物がセットで語られることの『意味』 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 想念エネルギーの影響は『ネガティヴ限定』ではありません - 『クリアー整体ヒーリング』です

    一般的に考えられている生き霊というのは「その人の魂の一部が抜け出して、特定の人間の所へ飛んでいき、悪影響を与えるモノ」みたいなイメージではないかと思います。 もっと細かく言えば以下のような感じでしょうか… ① 生き霊はその人の魂そのものであるから1人1つである ② 生き霊は強烈な想いに因って生まれるため常に特定の個人や場所に飛んでいくものである ③ ①と②からすれば生き霊とは稀なモノである(強烈な想いを継続的に持った状態でなければなかなか成立しないので) こうして見ると所謂『生き霊』というのは相当特殊な存在として想定されていることが解ります。 少なくとも日常的に何処にでも在るものとしては考えられてないみたいです。 とにかく一部の強い恨みの念のようなモノ以外はエネルギーとしてハッキリとした作用は及ぼさないってことじゃないでしょうか? つまり、一般的な生き霊の概念の中では、ほとんどの人間の想念

    想念エネルギーの影響は『ネガティヴ限定』ではありません - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂魔境と「ありふれた日常の感覚を大切にすること」 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアル好きな人の多くが大なり小なり劇的な覚醒経験みたいなモノを望んでいるんじゃないでしょうか? 神秘体験をして万能感を得たいっていう気持ちが心の何処かにあるってことです。 まぁ、でもねそれって一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれる端緒になりかねません。 それが「『魔境』って呼ばれるファンタジー世界の入り口にわざわざ首を突っ込んで覗き込んでいる状態」なのは確かです。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 例によって例の

    所謂魔境と「ありふれた日常の感覚を大切にすること」 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「霊感はその出どころが一番大事!」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 一般的には『勘』とか呼ばれるモノです。 個人的には『勘』は他の五感と並列的に在るものだと思っています。 特別な人間に与えられた特殊なチカラではなくね。 ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。 それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。 第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。 しかし、その100%全てがなくなるということは死ぬまでないのです。 っていうかそれが完全に無くなるってのが「亡くなること」ですからね。 もう一つは物の怪などの目に見えない存在から後天的に与えられた超自然的なチカラで

    「霊感はその出どころが一番大事!」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • インスタントは単純明快に『歪んだ答え』を導き出す - 『クリアー整体ヒーリング』です

    今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。 『インスタント』大好きと申しますか… ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね… 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。 単純明快さが第一なんですよね。 料理で言ったら「じっくりコトコト煮込む」みたいな作業は大嫌いなのです。 ていうかそういう作業は不必要だとさえ思ってるのかも知れません… 『インスタント』なやり方には一つの大きな欠点があります。

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  • 「これはフィクションです」という体の話 (ヤマトダマシイ篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です

    よくテレビドラマとかの最初に出る定型文みたいなのがありますよね? こういうヤツです↓ この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 このブログは基的に私の実体験を基にその経験から導き出された「独断と偏見」または「独断と妄想」を文章にしたものです。 ただ、そのまんま書いては色々と差し障りが出ると困るので、それなりに『書くこと』に躊躇いがあったりもするのです。 なので、時には実名をボカしたり、時にはハードな内容はわざとソフトに緩めたりして語ってまいりました。 でも、それじゃピンボケ過ぎて、中々核心が伝わりにくいこともあるのかなって気が、最近特にするのです。 で、これからは実験的に「あくまでもこれはフィクションです!」という体(テイ)で、少し踏み込んだ内容の記事を時々書いてみようと考えております。 中身については『こんなの全部作り話だろ!」

    「これはフィクションです」という体の話 (ヤマトダマシイ篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「威張る人にはコンプレックスが多い」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世の中には『特別』であることを求める人がたくさん存在います。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 『特別』に憧れ、『特別』に囚われているといったほうがいいかも知れませんが… ここで言う『特別』とは例えば「自分は他人より世界の真実を知っている!」とか「自分は神より選ばれた人間である!」とかいう優越感に溢れた状態のことです。 そういう状態になりたいと渇望し、「既にそうなったに違いない!」と思い込みたい方々が大勢いらっしゃるわけです。 優越感を渇望する人は劣等感に苛まれている人です。 強いコンプレックスこそが『スペシャルな自分』を夢見させるのです。 最近はあまりよく知らない人であっても頭ごなしに上から目線でコミュニケーションを取ろうとする人々が社会に増えてるような気がします。 所謂一つのやたらと威張る人です。 そういうのを所謂マウンティングって言うのでしょうかねぇ。 こ

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  • 「正しい!」の比べっことポリコレ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。 じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。 「正しい!って想いは自己完結しないモノである」

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  • 操れる系の価値観に染まるほど人の心が分からなくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。 ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。 この根性論の仲間に「問題ってのはみ〜んな自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。 これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先走ってる感じです。 「自分さえしっかりコントロール出来れば何でも解決するのだ!」という前提が最初にあるのです。 「心頭滅却すれば火もまた涼し」って感じでしょうか? 私の言葉でいうと所謂一つの操れる系ってヤツです。 操れる系ってのが何かというと「この世の可成りの部分はテクニカルに操れるに違いない!」という前のめりな考え方のことです。 そういう考え方の奥底には「やり方さえ間違わなければ人間な

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  • 世間に溢れるハカリゴトと陰謀論的なモノの見方 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別だってことです。 何度もしつこく言いましたが、この2つのことをごちゃごちゃにして「あるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がします。 或いは目の前の事実に迎合して「キレイゴトを言うなよ」と鼻で笑ってみたりね… 「認識すること」と「容認すること」をごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分か容認したモノが『あって当たり前のこと』

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  • 「時の波動は人間の暦とは必ずしも一致しない」という話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    時間の流れは単に物理的な気候の変化だけではなく、眼に見えない様々な変化を生みます。 その変化は片時も同じことはありません。 同じ8月でも去年と今年は当然気候は違うし、眼に見えないエネルギーの流れも違います。 時間の流れによって起こるエネルギー的な変化は人間に常に有形無形の影を与えています。 人間は常に時の波動というエネルギーの影響を受けています。 まあ、それは人間だけではなく『自然』そのものが影響を受けているわけですがね。 で、以前にも申し上げだことがありますが、エネルギー的に見た『お盆』ってのは普通に言われる年中行事のお盆とは時期がズレています。 ズレてるというか厳密にいえば別モノです。 その現象を正確に言うなら、毎年起こる8月におけるエネルギー的な『場の変化』ということになるでしょう。 このエネルギー的な『場の変化』は毎年起こってはいますが、時期や長さはその都度違っています。 また、こ

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  • 反医学的な人とはソーシャルディスタンスを取りたいものです - 『クリアー整体ヒーリング』です

    医学を声高に否定する言説をドヤ顔で語る方が世の中には結構いらっしゃいます。 特にベジタリアンとかいわゆる自然回帰派みたいな人の中にはそういう思想を持ってる人が少なくないんじゃないないでしょうか? 専門的な知識をお持ちではなさそうなのに、「薬をやめなさい!」とか「現代医学は欠陥だらけだからそんなものに頼っちゃダメだ!」みたいな内容の発言を堂々と発信されているのを拝見するのも一度や二度ではありません。 それこそが掛け値なしの当にあった怖い話そのものの気がします。 確かに現実社会においては医療に関する重大かつ構造的な事件や事故が過去に何度も起こってきました。 しかし、だからといって医学自体をまるで悪であるかのように捉えるのは行き過ぎではないでしょうか。 ましてや医療が頼りにならないからといって医療関係者の言うことを信じず、医学的な知識のない者の言うことを鵜呑みにするなんてのはあまりに危険過ぎま

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  • 水の波動と「透明なモノほどエネルギーは入りやすい」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    水というのは当に大切なものです。 水があるから人を含めこの世界の生物は生きていけます。 ただ、そんな水でも流れを失えばそのうち澱みます。 澱めば澱むほど劣化が早まるのです。 ここで申し上げてるのは基「波動的な意味で」ですがね… そういう意味では川よりも池や沼の方が澱みやすいのです。 コンコンと湧き水が出てるようなところは別としてね。 井戸ってのが扱いを誤るとヤバかったりするのと同じ理由から来ている気がします。 地下水という大きな流れから汲み出しているわけですが、「狭い空間に閉じられた水」ですのでね。 水はエネルギーを蓄えるための格好の器なのでしょう。 そのエネルギーは人間にとって何時も良いモノとは限りませんがね。 っていうか良いとか悪いとかは人が勝手に決めたものです。 水自体に良い悪いがあるわけじゃありません。 様々なエネルギーがやって来て水に蓄えられるだけですので。 じゃあ、なぜ水に

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  • サトリ系には色々と『不自然で無理なところ』がある - 『クリアー整体ヒーリング』です

    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 つまり、人間は元々『ブレる』ように出来てる生き物なのです。 それは、生きている限りはずっと『心のバランス』を取り続けるしかないってことを指しています。 その「バランスを取る」というところからズレてしまうと遅かれ早かれ心は迷います。 ただ、いつの世にもこの「心のバランスを取る」ってのが大嫌いな人たちが一定数いらっしゃます。 とにかくめんどくさい心のバランスなど二度と取らなくていい全知全能の自分を目指そうとする者たちがね… 今時の言葉でいえば『ブレない自分』を求め続ける人のことです。 所謂一つの悟りとかを目指す人々もその仲間といえま

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  • 「人が神に成り上がるのだ」とかって話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。 その証拠に神さまとい

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  • 自縛の呪詛は根が深い - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから呪詛なのではありません。 人を呪う心のカタチが即ち『呪詛』なのです。 少なくともここでいう呪詛とはそういう意味合いのモノです。 ここで特に申し上げたいことは二つあります。

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  • 無理に祓えば『遺恨』が残ります - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年4月の記事 例えば「何かに憑かれた人がいたとして、気力の充実した人がその人の背中をドンと叩いて「出ていけ!」と気合いを込めればその何かは出て行くんだよ」みたいな話があります。 気合い一発でなくてもセルフでお手軽に出来るお祓い?みたいなことを勧める人は時々いらっしゃいます。 それを全くのフェイクとまで

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  • 魔境と霊感と選民思想 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアルな人の多くが一生懸命『特別』を求めようとします。 特別なチカラ、特別な感覚、特別な使命、特別な人生などをです。 もちろん何を求めようとその人の自由ですが、特別を求めれば求めるほど三次元的な日常からはズレやすくなります。 三次元的な日常からズレればズレるほど物の怪など人外のモノが作り上げたファンタジーな世界に嵌まりやすくなるのです。 その自分仕様のファンタジーな世界が所謂魔境です。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる

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  • 「〇〇するだけで□□問題は解決!」というインスタント - 『クリアー整体ヒーリング』です

    今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。 『インスタント』大好きと申しますか… ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。 テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな考え方です。 一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね… で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。 単純明快さが何より優先なんですよね。 料理で言ったら「じっくりコトコト煮込む」みたいな作業は大嫌いなのです。 ていうかそういう作業は不必要だとさえ思ってるのかも知れません… 『インスタント』なやり方には一つの大きな欠点があ

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  • 忍び寄る新しいカタチの『ソフトな優生思想』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    優生学は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される とにかく健康で長生きすることを絶対的な価値とする思想の行き着く果ては優生学的な思想だと思います。 ここでいう優生学的な思想というのは「人工的な手段を以って人間という存在を、物理的により『完全』な状態に近付けようとする考え方全般」のこととします。 そして、優生学的な思想に行き着くっていうのは、やがて「人工淘汰による人間の切り上げ・切り捨てを良しとするようになる」という『意味』です。 健康で長生きする状態を『絶対的な価値』となし、不健康や病気を穢れとして忌み嫌うようになるからです。 最終的には健康至上主義にとって不適合な人間は排除し、適合する者だけ残すという作業を行うようになるでしょう。 偶然ではなく、必然としてね。 優生思想は非常にキレイ好きの思想です。

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