「桜花」を発案したのは叩き上げの特務士官 ひとたび母機から切り離されれば絶対に生還が不可能な、この非情極まりない兵器を発案したとされるのは、大田正一少尉である。 大正元(1912)年8月23日、山口県熊毛郡生まれ、昭和3年6月1日、海軍四等水兵として呉海兵団に入団した、叩き上げの特務士官(兵から下士官、准士官を経て累進した士官)である。普通科電信術練習生、偵察練習生を経て、飛行機の偵察員(2人乗り以上の飛行機で、航法、偵察などを担当する)となり、支那事変(日中戦争)では九六式陸上攻撃機に乗って、多くの実戦に参加した。 その後、准士官(兵曹長)進級とともに予備役となり、即日召集されて教官配置につき、太平洋戦争では司令部所属の輸送機の機長として、ラバウル(現・パプアニューギニア)を拠点に、南太平洋の前線で空を飛んでいた。 その大田が、なぜ「桜花」を発案するに至ったのかは謎に包まれている。少尉と