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Communicationとmedtoolzに関するkazoo_ooのブックマーク (5)

  • 正しさをテストで記述する - レジデント初期研修用資料

    「厳密な人」と、「間違いにうるさい人」とを隔てているのは、その人が想定する正しさというものを、テストの形で記述できるのかどうかにかかっているのだろうと思う。 テストを作れる人は、テストを通じて、自分が想定する正しさに到達するためには何が不足し、どうすればそれを補うことができるのか、相手に提示することができる。 自分の学びをテストの形で記述できない人は、「俺はエビデンスを持っている。奴らは持っていない。俺は正しい。奴らはバカでこの世から放逐されるべき」とばかりに、せっかく学んだ貴重な知識を、単なる投擲用のクソとして消費してしまう。これはもったいないように思う。 哄笑の道具としてのエビデンス 専門家が喧嘩に参加する場面が増えたように思う。 会話の応酬が行われる場所はといえばせいぜい2ちゃんねるぐらいしかなかった昔、匿名の無数が対立する場に専門家が「降臨」すると、喧嘩の舞台は学びの場になった。も

    kazoo_oo
    kazoo_oo 2012/12/31
    「哄笑は断絶であって、それをやったそのとたん、交渉の糸はちぎれて戻らない」ほんとそうです。
  • ulog.cc - ulog リソースおよび情報

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    kazoo_oo
    kazoo_oo 2012/06/01
    うん、英断だと思う。
  • ulog.cc

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    kazoo_oo
    kazoo_oo 2011/11/28
    "そこにいる誰もが、改革の意志、誰かの行動に賛同する意志だけ示して、自ら決断することはなく、誰かが動いてくれないかな、とひたすら願うようになる"
  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

    kazoo_oo
    kazoo_oo 2011/07/07
    「手続きの瑕疵は理想の高さで穴埋めできない」
  • 「なんでも鑑定団」に出てくる中島誠之助の語り。ああいうのがなんというか、本来の「商売人の語り」なんだとは思う。

    @medtoolz あの舞台に「物」が出てきたときに、他の鑑定士はたいてい、最初のほうに「物です」と宣言する。依頼人はみんな、「ありがとうございます」と鑑定士に頭を下げる。当にえらいのは、物を持ち込んだ依頼人のほうなのに。中島誠之助が鑑定するときは、そのあたりの関係を上手に作る 2010-12-20 10:09:49

    「なんでも鑑定団」に出てくる中島誠之助の語り。ああいうのがなんというか、本来の「商売人の語り」なんだとは思う。
    kazoo_oo
    kazoo_oo 2010/12/21
    こういう言語化ができるmedtoolzさんもさすがと思うのだ。
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