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ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (5)

  • パット・メセニーと政治、その他 - 猿虎日記

    こんなものジャズじゃない! 大学生のころ、開局したばかりのJ-WAVEをよく聴いていて、そこでパット・メセニー・グループの曲がしょちゅうかかっていたのだが、好きになれなかった。ジャズと言えばフォービート、という凝り固まったリスナーだったのだので、いわゆる「フュージョン」に対して、「こんなものジャズじゃない!」ぐらいの勢いで嫌悪していた時期があったのだ。しかし、だいぶあと、1990年代になってから、周りの人の影響やなんかで、「フュージョン」とひとくくりに敬遠していたいろいろな音楽を聞きなおし、そうした偏見は少しずつなくなっていった。ハービー・ハンコックの「アクチュアル・プルーフ」を友人に聞かせてもらって「なんだこれ?!」と思ったあたりからはじまり、チック・コリアのRTF、ジョン・スコフィールド、などにはまり、ウェザーリポートや電化マイルスのもの凄さを20年以上遅れて再確認した時期があった。

    パット・メセニーと政治、その他 - 猿虎日記
  • 「偽装」と「ねらい」 - 猿虎日記

    「被害者」と「加害者」 「仮放免者の会」のブログで、「難民偽装問題」をめぐる読売新聞での報道の問題点についての記事が連載されています。 第1回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第2回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第2.5回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/09/830.html とてもわかりやすく、読売に対する反論というだけではなく、入管問題全体の理解に役立つような記事です。 このブログ連載で批判対象となっている読売新聞の一連の記事は、難民申請者の外国人たちを「偽装難民」と決め付けつて貶めるものです。ところで、これらの記事は、(彼らの言う所の)「偽装難民」が増えることが一体どのような問題を引き起こしてい

    「偽装」と「ねらい」 - 猿虎日記
  • プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記

    先日の「プラネテスのポリティカ その2」というエントリーには、ブックマークやコメント欄で多くのコメントをいただきました。そのほとんどが「ロックスミス問題」についてのものでした。というわけで、いくつかのコメントについてもう少し答えたいこと、というよりは言いたいこと、があるのですが、少し長くなりそうなので、エントリーとして立てました。 ※あいかわらずネタバレあり。そして長いです。 英雄化と相対化 >大きな目的のためなら300人の犠牲がOKかと問われれば、二つ返事でうんと肯けるはずがないのですよね。(BWさん) ここはちょっと象徴的な表現だと思います。「二つ返事でうんと肯けない」というのは、324人もの人を殺すことが、「通常の」道徳では肯定できないからです。そして、ロックスミスは、その「通常の」道徳では肯定できない恐ろしいことを実際に行った。ところが、そのことによって、ロックスミスは、通常の道徳

    プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記
    kazutox
    kazutox 2014/08/17
    2009年
  • 命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿虎日記

    パレスチナ かつてこちらの記事 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20041219/p1で引用した、土井敏邦氏の言葉をもう一度引用します。 もちろんパレスチナ人の自爆テロは許されるべきではなく、糾弾されるべきである。ただ、自爆テロをはじめとするパレスチナ人側の暴力とイスラエル側の「報復」の暴力を並列し、「暴力が暴力を呼ぶ悪循環」「どっちもどっち」といった描き方で終わってしまいがちな現在の報道や識者の評論は、問題の質を見誤らせると私は考えている。問題の根源はイスラエルによる”占領”にある。”占領”という状況がパレスチナ人を自爆テロにまで追い込んでいるといえよう。[(『パレスチナ ジェニンの人々は語る――難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕――』69-70頁) イスラエルとパレスチナ、機動隊と活動家、警察と西成の労働者、の対立についてのニュースなどがあると、かなら

    命名、妖怪「どっちもどっち」 - 猿虎日記
    kazutox
    kazutox 2014/07/22
    2008年。ここが起源か。
  • サルトル『○○人』──排外主義者の肖像──(1) - 猿虎日記

    岩波新書に入っているサルトルの『ユダヤ人』は、1956年出版ですが、原書の出版は1946年です(ただしこの第一部は1945年に雑誌に発表され、さらにその一部は1944年にすでに書かれていたようです)。というわけで、げんざい、このサルトルの文章が書かれてから65年ほどたったことになります。とうぜん、時代がおおきく変わっているので、古くなっている……はずなのですが、とても60年以上前に書かれたとは思えない部分も多いです。というわけで、このをすこし読んで見ようと思います。 ちなみに、サルトルのこのは、とても評判が悪いというめんもあって、私が知るかぎり、現代思想(別名ポスト・サルトル主義)系の人からはたいてい「ダメ」あつかいされています。反ユダヤ主義研究が専門のうちだ・たつる氏も、『私家版・ユダヤ文化論』という新書でたしか、このについては「どこがダメか」というところだけ書いていました。

    サルトル『○○人』──排外主義者の肖像──(1) - 猿虎日記
    kazutox
    kazutox 2014/03/18
    2010年
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