野戦郵便局 池田73号 ヒト同等の知性と、ヒトを凌駕する戦闘力でベルドラ帝国軍の発展を支えてきた馬人〈タウル〉。近代化した戦場によって、彼らの活躍の場を奪われて久しい頃……。騎兵科縮小に伴い、ある馬人が野戦郵便局に配属された所から物語は、始まる――。ひとと人ならざる者、“違う”者同士がひとつの世界に暮らす事の”答え”を捜す正道ファンタジー。
主催者側も、マスコミも、なんなら選手たちだってさんざん「日本中に勇気を与えたい」だの「被災地に元気を」だの「こんな時代だからこそ明るい話題を届けたい」だの言ってたじゃん。 日本中に元気を届けられる影響力があるのなら、逆に日本中を負の感情を届ける影響力だってあるでしょ。 オリンピック選手を見て元気になる人もいれば、「こっちは医療崩壊してんのに……」「せっかく自粛してるのに意味あんのかよ……」ってやる気なくす人だってたくさんいるよ。 もちろん五輪によって死ぬ(五輪中止なら死なずに済んだ)人だっていっぱい出るだろう。 だからって出場辞退しろとは言わないよ。 「いや私は日本中を不快にさせてでも、死者が出ても、それでも出たいんです」って言うなら、それを抑える権利は誰にもない。 問題は、そこまでの覚悟があるのか?ってこと。 「いや私は言われたことをやるだけです。出場をどうこう言う資格は私にはありません
ファミレス、コンビニ、ほとんどの冷凍食品(冷凍野菜などの食材除く)を「まずい」と感じる人間だけど、 まず >たとえば0〜100の数値で美味しさを評価するとして >「不味い」っていうのは、まあ30以下とかじゃん。 (略) >そういうイメージだよな。 この時点で「あまりにも感覚が違う」としか言いようがなくて絶句してる。(念のため言っておくけど、優劣はつけていないぞ。) 美味しいってそういう階段状に一直線ではない、一つしかない感覚ではまったくない。 ファミレスやコンビニの味は、自分にとっては 「うまさを偽装して美味いと感じさせる作りになっていると知覚するので不快である、 しかもその偽装したうまさも単調で自分の好みに合うほどの幅がなく、 さらにその偽装の具合にディストピア飯感を感じる惨めさもあいまって嫌気がさす」に近い。 美味しいの尺度に話を戻そう。 無理やり「数値で美味しさを評価する」に合わせる
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