タグ

読み物に関するkekotinn25のブックマーク (5)

  • 処女航海は今日も荒波! - 私の時代は終わった。

    こんにちは、ファンキーじゃない方の加藤です。 明けてます。 明けきってます。 2017年です。2月です。 いや、待って。 まず2016年の話してもいい? あのね、私にもあったはずなんです。2016年が。 去年、電撃結婚された方々や、惜しまれきって解散した方々や、不倫を超暴かれた方々と同様。多分、同じ日数くらいの2016年があったはずなんです。 もう画素が荒いよ。 2016年の作りが、すごい粗削り。 思い出のクオリティーがね、低い。 たとえば、中居正広の2016年とかね、もうVR状態ですよ。 あれ、これ触れんじゃないかってくらいの臨場感だったわけなんですけど、 かたや、こっちサイド、紙芝居かなってくらいでね、5回くらい捲ったらね、2016年が終わったわけです。 もう、出会いもなければ別れもない。 オンラインゲームですら、協力プレーするこの時代に、 36年もこの東京というフィールドいっぱい さ

    処女航海は今日も荒波! - 私の時代は終わった。
    kekotinn25
    kekotinn25 2017/02/13
    ふわーおもしろい
  • 20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ

    1996年の夏、わたしは6歳で、小学1年生だった。 宿題やってくる、って親に言い訳しながら、友達の家や近所の公園や児童館にゲームボーイ片手に集まって、ポケモンのレベル上げにいそしんだり、近所の年上のお兄ちゃんにどうしてもここから先にいけないんだよ~って泣きついたり、同じジムリーダーに何回も挑戦したりしてた。チューペットをくわえて濡れた手でAボタンを押す、通路なんだからここで集まらないどきなさい、って怒られる。 ……まさか20年経って同じことをしていると思わなかった。思わなかったよ。 2016年7月22日、ポケモンGOが存在する世界がはじまった。 22日は朝から歌舞伎座で「七月大歌舞伎」を観ていて(市川海老蔵さん、当に当に格好よかった)午前中からリリースの喧騒は横目に見ていたけど、歌舞伎座の場内は集まる皆様の年齢層もあって至って静かだった。誰もポケモンゲットしようとしてなかった。今思えば

    20年ぶりの「ヒトカゲ、君に決めた」 - インターネットもぐもぐ
    kekotinn25
    kekotinn25 2016/07/26
    読んでて胸アツな文章。好きなものをみんなでいいよね!って共感しあえた時の嬉しさが伝わる。共有じゃないよ。共感だよ。ポケモン世代より少し上の私にとっては素直にうらやましい。
  • 夜逃げ、ヤミ金、改名…理不尽スパイラルから救ってくれたのはインターネットだった。徳谷柿次郎の原点 | CAREER HACK

    "日一ふざけた会社”ことバーグハンバーグバーグの徳谷柿次郎さん。10代から極貧生活を送り、26歳まで新聞配達と牛丼屋のアルバイトを掛け持ちして家計を支えてきた過去はあまり知られていない。彼のルーツ、そして生き方から理不尽やトラウマをはねのけるヒントが見えてきた。 大阪。借金返済に奔走していた青春時代。 "日一ふざけた会社”ことバーグハンバーグバーグの一員として、メディア運営に携わる徳谷柿次郎さん。 今やメディアやイベントに引っ張りだこの柿次郎さんだが、10代では家庭の事情で極貧生活を強いられ、新聞配達と牛丼屋のアルバイトを掛け持ち。借金を返済しながら暮らしてきた過去はあまり知られていない。 「10代・20代の頃は、劣等感の塊でした」 こう笑顔で話す柿次郎さん。フツーであればそのままズルズルと泥沼化して、いろいろとこじらせてしまいそうだが、いかにして自ら生きる道を切り拓いてきたのか。そし

    夜逃げ、ヤミ金、改名…理不尽スパイラルから救ってくれたのはインターネットだった。徳谷柿次郎の原点 | CAREER HACK
  • 親になる一年 - 紺色のひと

    僕の仕事がひと段落したのと、一年子守りで篭もりっきりのの慰安をかねて、温泉旅館に一泊してきた。胆振方面の古い温泉街で、今はやや寂れつつあるが、30年前には祖父もよく通ったと聞く。国道沿いの海産物直販所で中国人観光客の皆さんに混じって水槽の中の花咲ガニやホッキ貝の写真を撮りながら、僕とと娘マチ子を乗せた我が家の愛車ザラブ号は旅館へと向かうのだった(うむ、一文が長い。好きで書く文章はこうでなくては)。マチ子の温泉デビューである。 この状態でもさけとばと呼ぶのかは疑問。 夜。 マチ子を寝かしつけてから、物音を立てないように酒盛りの準備をした。広縁のテーブルに、スーパーで買った赤霧島と三ツ矢サイダー、さけるチーズと豆おかきを並べた。ペットボトルの口にタオルをかぶせて封を切った。おかきの袋はトイレで開けた。ひそひそ声で「24年度お疲れさま」と乾杯してから、自分たちのやっていることがなんだかおかし

    親になる一年 - 紺色のひと
  • いわゆる男の娘が社会的に女の子として生活し始めて思ったこと

    わたしはいわゆる男の娘だ。部屋の中で女装していただけだったのだが、「これじゃただの変態だな」と思い一念発起した後、いろいろ試行錯誤してかなりパス度を高めることに成功した。(パス度っていうのは女装だと見抜かれない率のこと)そしていまは大学にときどき女装して通っているし、この前無事に女の子としてバイトもはじめた。世の中じゃ結構こういう苦労をしている人はいると思うのだけれど、あんまりそういった苦労話をしているのは見たことがなかったので、振り返りの要素を込めて自分のためにもちょっとまとめてみたいと思う。世の中にはこういう人もいるのだということを知っても損はしないのではないだろうか。女装したい人やmtfの人にすこしでも参考になればと思う。 もともと中学高校と男子校に通っていたのだけれども文化祭などでときどき女装させられていた。表面上は嫌がっていたのだけれども、正直とても嬉しかったし、客観的に見てもそ

    いわゆる男の娘が社会的に女の子として生活し始めて思ったこと
  • 1