先週一度、 もういいかな?って時があって、 毎日日課にしている手放しワークをお休みしたことがありました。 これを始めたころは、 続々と現れてくる、次に手放すべき感情が、 どんどん現実化として現れてきて、 次は何かな?ってな感じで楽しんでいたのですが、 あまりにもどんどん起きてくるので、 だんだんしんどくなった数日がありました(^▽^;) 過ぎてしまえば1日も10年もさほど変わらないのに、 その渦中にいるときって、 たった1日もものすごく長く感じてしまうんですよね💦 しかし今はまたそれを乗り越えて、 これって悟り開けたんじゃない? …ってところまで来てしまいました(笑) どうして私がそう思えるのか、 私が思う悟りとは…氣になる方は読み進めてみてくださいね(;^ω^) それは、 すべてはうまくいっているということを 腑に落として理解できている状態のことだと思うのです。 すべてがうまくいってい
私は今年の3月17日から、 お蕎麦屋さんの厨房で働くようになりました。 それまではだいぶ長い間、 地元のスーパーで働いていましたし、 それ以前をふり返ってみても、 接客業ばかりでした(;^ω^) 別に接客をしたいと思っていたわけじゃないんですけど、 なぜかそういう仕事ばかりと縁があったんですね。 斎藤一人さんのお話では、 仕事は自分で選んでいるのではなくて、 その仕事に呼ばれているんだと仰っています。 自分で選んでいるように思えるけど、 何となくその仕事に就くように導かれているんですね。 それはその業務内容や、 一緒に働く同僚や上司との間で繰り広げられる、 体験が必要だと言えるからでしょうね。 好きで仕事をしている人って、 どれくらいの割合でいるのでしょうか。 私が一緒に働いてきた人たちを見ても、 本当にやりたくてこの仕事をしているというより、 生きていくための生活費を稼ぐために、 自分に
人生、生きていればいろんなことがあります。 いろんなことを体験しているうちに、 だんだん生きていることが、 つらくなってしまうこともあるかもしれません。 ではどうしてつらくなってしまうのでしょうか? 最近、毎回書いていますが、 私たちはこの肉体をもって生きることでしか、 味わうことのできない体験をするために、 この地球という星に生まれてきました。 しかも生まれる国、 時代、両親、容姿、名前もさることながら、 どのような経験を積もうかということさえ、 ざっくり設定してから生まれてきているんですね。 どのように脚色していくかは自由です。 そして生まれるその瞬間、 その設定のことはすっかり忘れるようになっています。 それでもすべてを覚えている存在が自分の中にあります。 それがハイヤーセルフと言われる本当の自分です。 普段の私たちはエゴ(自我)で生きています。 本来の目的をすっかり忘れて、 この人
斎藤一人さんのお話や並木良和さんのお話を聞いていて、 なるほど同情はいかんのね…と思いました。 同情する…つまり相手と同じ感情になる。 これは波動を下げるのに力を貸すことになるので、 良くないんだとか。 ここ数年の日本は、 大きな震災や水害などで多くの人たちが、 命を失ったり、 大事な人を失ったり、 住む場所を失ったり…ということが本当に続きました。 でも、そんな時に何も被害を受けなかった人たちまで、 氣を落としてはいけないそうなんです。 多くの人たちの氣が下がってしまったのなら、 他の人たちは意識して上げなければいけない。 そうやってバランスを取ることが大事なんだそうです。 だから病氣の人の傍らで、 自分まで病人みたいな顔をして心配するのは、 もってのほかということなんですよね。 同音異義語はざっくりと共通した意味合いを持ちます。 同情は同場。 つまり同じステージに立ってしまうという意味
引き寄せの法則のことを初めて知った時、 私は自分の人生は現実は変えられるんだ~!って、 めっちゃ舞い上がりました(^▽^;) 昔、読んだ占いに書いてあった一つのフレーズが忘れられず。 それは「あなたは大器晩成型」。 私の大器はいつできるのやら(笑) いつになったら経済的に自由になれるの? どうすれば恋愛はうまくいくの? そもそも私って何のために生きてるの? 主にこの3つが当時の私を苦しめていたわけで、 何とかしたい!そうじゃないと精神が崩壊しそう! …とまで思っていたんです(;´∀`) 今思えばなんて大げさなって思うんですが、 当時はかなり病み闇病みぃでした。 あれからもうすぐ4年という月日が経とうとしています。 今は最愛のパートナーにも出会って関係はいたって順調であり、 自分自身にも本当に感謝できるくらいにまでなりました。 経済的にはまだまだではあるけれど、 そんなに氣にならなくなってき
自分観察日記によれば、 16日の朝に目覚めた瞬間、 どよ~んといつもよりさらに重い波動を 原因不明に放っていた私は、 インドのあきこさんの動画を数本見ているうちに、 「ただいまはこういう流れだってだけだ」ってことに 氣づいたとたんに元氣になりました(笑) で、そこから2日経って、 急にブログを書こうと思い立ち、 ライブ配信を再開し、 これを含めると4日連続でブログを更新しています。 書きたくてしょうがないというより、 何となく「書かなければ!」と、 何かに背中を押されているような感覚です。 で、ここ最近チェックするようになった占星術予報を改めて読んで、 なるほどね!って思いました。 それがこちら⇩ sopdet.com 聖なる男性性の急上昇って書いてあります。 私たちの中には男性であれ女性であれ、 男性性と女性性というものが存在しています。 一般的に男性の方が男性性の方が強く、 女性の方が
あの世もこの世も今ここにある。 だんだんそんなふうに思えるようになってきました。 中学2年生の時に父方の祖母を亡くし、 それが初めての近親者の死でした。 突然の事故死だったために、 ついこないだまで元氣だったのに もう動かなくなってしまったおばあちゃんを見て、 本当に不思議な感覚でした。 お通夜の夜にいとこ9人全員で寝ていたら、 床がギィーギィー鳴り始めました。 目を開けて見てもみんな寝ている。 でも明らかに誰かが歩いている音。 隣りの部屋では親たちがまだ起きていたけど、 完全に自分たちがいる部屋で鳴っている。 直感的におばあちゃんだな…って思ってはいましたが、 私が寝ている布団をぎゅっと踏まれる感覚があって、 その時に急に怖くなった私は、 あわてて両親がいる隣りの部屋に行きました(^▽^;) 思えばあれが生まれて初めての心霊体験でしたね。 大人になって祖父、父、曾祖母…と亡くなっていき、
前回の記事からまた10日近く経ってしまいました。 何でか書く氣にならない。 動画を作る氣にも、ライブをする氣にも…。 以前はやらなきゃ!やらなきゃ!っていう思いが強かったのですが、 やる氣にならないかぎりはやらないって決めたら、 オイオイ!もうこのままずっとやらないんじゃないの?ってな勢いで、 ブランクが開くようになってきました(;^ω^) でもそれならそれでもいい。 私の中の私が望むとおりにするのです。 私は私のために生きるのです(笑) 前回の記事は、 もうこれからの私には不要になったものを どんどん手放していますという内容でした。 あいも変わらず、この間も私は毎朝せっせと、 私の中にある自分に対する、 無価値観や罪悪感を手放すワークをしていました。 元々、光の存在である私たちは、 この物理世界に生まれてくる際に、 無価値観と罪悪感を誰もが背負って来るんだそうです。 これをとことん外すこ
氣がついたらもう10日ほどもブログを書く氣になれていませんでした( ̄▽ ̄;) なぜか何かを作りたいっていう氣持ちにならずにいました。 別に何かあったとか、 氣分が落ち込んでいたとかいうわけでは全くなくて、 実はその間、 私はずーーーっと手放しワークをやっていましたよ。 私はブログの中に影響を受けている、 たくさんの方々を紹介してきましたが、 この引き寄せる順番が実に面白いな…と最近思っています。 新月や満月のワークに興味を持って見つけた木山愛深さんから始まり、 いろんな方々の本を読ませていただき、 それぞれの方々の表現の仕方や伝えている内容など、 本当にステップバイステップで引き寄せてるんだなって。 ここ最近ハマっているのは、並木良和さん。 YouTubeのおススメ動画に上がってくるようになり、 誰?って思っていたのですが、 Facebookのグループで動画が紹介されていて、 それを拝見し
あなたは人に不安を与える人ですか? それとも安心を与える人ですか? 私は子どもの頃、 とても神経質なところがあり、 どういうわけだか病氣になることを非常に恐れていました。 少し年下の男の子が、 小学生のうちに脳腫瘍で亡くなった話を聞いたり、 ガンで亡くなった若い女性の一生が書かれた本を 読んだりしては怖くなっていたんですね(;´Д`A ``` ときどき息を吸うと胸が痛くなったり、 どこか調子悪かったりして母に訴えると、 母は決まってこう言いました。 「生きてる証拠だよ」 この一言。 私には本当に魔法の言葉でした。 母親の口からこの言葉を聞くと、 とたんに安心して、 体調の悪さはどこかへ消えていくのでした。 そしてもうすぐ47歳になるこれまでの人生の中で、 大きな病氣はおかげさまで一度もしたことがありません。 しかしテレビやマスコミ、 病院(すべてではない)などってどうでしょうか? 安心を与
最近、当ブログのある記事にアクセスが集中するようになってきました。 それは、こちらの記事。 www.charlotte102-blog.net ポルトガルに住むネオ・グリマーという一人の男性が、 未来の自分と共に現れた3つの高次の生命体から受け取った、 アセンションコードについて書いた記事です。 どうしてここに来て、 この記事にアクセスが集中するのでしょうか? それってやっぱり地球のアセンション(次元上昇)に伴って、 スピリチュアルに目覚める人が間違いなく増えてきているからだと思えます。 この地球はこれまでにない次元上昇を正しく今、 迎えているところらしいのです。 これまでも何度となく、 次元上昇するチャンスはあったものの、 そのたびに失敗に終わっていたそうなんですね。 しかし今回のは本当にすごいらしい。 誰も経験が無いからどんな状態になるのか、 なってみないとわからないところではあります
あなたにも時々訪れるでしょう、甘い誘惑(笑) たとえば貯金した方がいいとわかっちゃいるけど、 あれも欲しいこれも欲しいでなかなか貯められない。 あんまり食べない方がダイエットにも、 健康面でもいいとわかっちゃいるけど、 お腹が空いて仕方ない。 お酒も飲まない方がお金もかからないし、 明日スッキリ起きられるんだから、 飲まない方がいいとわかっちゃいるけど、 夜になると飲みたくて仕方なくなる。 その誘惑にまんまと負けてしまうと、 そのあとに訪れるものって何でしょう? ま、人によるとは思いますが、 恐らく多くの人が、 自己嫌悪感や罪悪感に苛まれるのではないでしょうか。 人は怠けることを自他に関わらず、 どこかで許していないからなんでしょうね。 ではその自己嫌悪感や罪悪感を味わうことが悪いことでしょうか? もちろん、そうではありません。 イヤだなという感情は、 その反対側に好きだなという感情がある
どんなときに自分は幸せを感じるか、 あなたはちゃんと知っていますか? そのことを考えると、 (*´艸`*)ムフフ (・∀・)ニヤニヤ……ってしちゃうこと。 これさえあれば、 私たちは欲しいものすら引き寄せられるのですよ。 この幸せな感情は、 豊かな波動を出すんですね。 満たされていないことにフォーカスした状態で、 幸福感を得られることはありません。 足りないと感じているもののことばかり考えていては、 満たされていない波動がガンガン出てしまうので、 望んでいないものやことを引き寄せてしまいます。 たとえばお金が足りないと思い続けていると、 なぜかいらなく出費が増えたりしてしまう。 思い当たる方は多いのではないでしょうか(;^ω^) 考えてみてイヤな感情が湧き上がってきたら、 そのことについて考えるのが間違いだというサインです。 考えるというのは人間ならではの才能なのですが、 使いすぎるとオー
いま、幸せですか? あなたはこの質問に即答できますか? 「はい」と即答できる人は、 本当に幸せな人であり、 ほんの少しでも躊躇した人は、 幸せだと思い込もうとしている人、 すなわち幸せではない人ということなんだそうです。 あなたは即答できますか(;^ω^)? でも、この質問に即答できないからと言って、 それが悪いだとか、 間違いだとかいうわけではありませんよ。 私たちはもっと幸せになるべき存在なのです。 もっと幸せになろうとする心が、 世界を平和に導く心だからです。 自分だけの幸せを考えてみてください。 自分が幸せであるために、 目の前にいる人が苦しんでいたらどうですか? テレビで悲惨な事件や事故のニュースを見聞きしたら、 本当に自分は幸せだといえるでしょうか? つまり自分の幸せは、 世界中の人の幸せを願う氣持ちに通じているのですよ。 では、完全に幸せ!って即答できるまでには、 何が不足し
最近、下りてくるメッセージと言いますか、 インスピレーションがハンパない量で、 着いていくのに大変なみきっぺです(;´∀`) 本当に先日のじんましんにより、 私はひと皮もふた皮も向けた感覚なんですね。 とくに午前中はハンパないです。 人は日の出と共に起き、 お日様が高く上がる前に自分らしく活動し、 午後は愛する者たちを思い、 夜は床に入って一時的にあの世(自分の内側)に里帰りをする。 これが人間らしい生き方なんだなって、 しみじみ思うようになりました。 人は毎日、生まれて死んでいる。 これをただ繰り返すのみ。 テンポよくリズムに乗れると、 パフォーマンスも良くなります。 数年前からブラック企業や社畜なんて言葉が出てきたり、 コンビニエンスストアの24時間営業の存続が、 ここにきて考え始められてきているのも、 この当たり前の自然のリズムに同調していないことが、 あらゆる病氣や問題を引き起こす
前回の記事で報告させていただいた顔のじんましん。 約1週間で完治いたしました。 病院も行かず、薬も使わずです。 2月に膀胱炎になり、 出血までしたときにも同様でした。 病氣ってやっぱり本当の自分である、 ハイヤーセルフからの精一杯のメッセージなんだなと 改めて思うことができました。 今回は完治して数日たったいま、 私が手に入れたものをシェアさせていただけたらなと思います。 じんましんを発症した3日目。 私はその1週間くらい前から読みたいなと思いつつ、 読んでいない文書がありました。 それは最近、当ブログで頻繁に紹介させていただいている、 北海道出身沖縄在住のシャーマン・ミロクさんの これから電子書籍として発売される原稿でした。 今なら無料で読めるよ!というもの。 氣にはなっているのに、 なぜか読もうとしない日々( ̄▽ ̄;) じんましんになったのはそんなときでした。 1日仕事を欠勤したことで
先週の土曜日の夜、 何だか顔がかゆいな~と思っていました。 でも、そのときはそんなに氣にすることも無く就寝。 そして翌日もお蕎麦屋さんにお仕事をしに行き、 まかないのかけそばもゆっくりいただいて帰宅。 夕方くらいからまた顔がかゆくなりだしました。 夜にふわっちとFacebookライブを同時配信したあとは、 無性にかゆくなり、 かと言って、ボリボリかくわけにもいかないので、 爪で押したり、叩いたり…。 主にかゆいのはほっぺた。 異常にかゆくなったのは、 ちょっとだけお酒を飲みたくなって飲んだのが、 追い打ちをかけた原因かと思いました。 そして翌日は公休だったわけですが、 朝起きて自分の顔を映し出す鏡を見て驚愕しました。 顔が全体的にむくんでいて、 ただでさえ大きい顔が、 心境的には1.5倍くらいになっていたのです(;´Д`A ``` 前日の夜に大号泣した?と思うほどにまぶたも腫れていました。
先日、「失敗とは何ぞ?」という記事を書きました。 www.charlotte102-blog.net 失敗という言葉のイメージをごっそり書き換えてしまおうという内容でした。 失敗はするほどに敗ける可能性を失うと捉えてしまいましょうと。 成功の反対は失敗ではなくて、 諦めだとおもうんですよね。 つまりもうそれについて考えることも無ければ、 もちろん行動することも無いということです。 そこで思いました。 どこで結論づけているのかということ。 何をもってこれは失敗に終わりましたとするのか。 失敗で終わらせるからそれ以上が無くなるだけで、 諦めさえしなければ、 いつだって成功の可能性はあるということ。 締め切りなどがある場合は、 そのように片付けられてしまうこともあるのかもしれませんが、 自分の人生は自分がこの世を去るまで続くわけです。 だから成功したかそうでないかの結論づけは、 人生最期のときに
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