新曜社1995年 刊行直後に読んでいたものを再読。訳あって部分的に再読しようと思ったが、結局ほぼ完全に再読してしまった。 大量の人文学術書を処理する手際はさすが元『世界』編集者と今読んでも思う。難しいことは一切言わないのでさくさく読める。だが、記述上のアラが余りに多いのでこれに引っかかっていると思わぬ時間を食ってしまう。 小熊の問題はあくまで「単一」民族論の系譜。ある思想家が日本民族を‘単一’と主張しているか‘混合’と主張しているか?、これが小熊が数多くの思想家を整理する際の軸である。だが、そもそも単一とか混合とか言われる民族とは何か?に肉薄するということは小熊の課題ではない。後者の問題がそれなりに解明されないと前者の問題が宙に浮いてしまうのではないか、もしくは、記述上の不手際を引き起こすのではないかと思うのだが、小熊はそんなことに頓着しない。 確かに、ある概念をそれがどのような表現の中に