若かりし頃の黒猫クインシーのアルバムが出てきたので、見せてもらうと、隣りにまぶしい笑顔で写っているひとがいたので、仲がいいのか聞いてたのですが、全くそんなことなかったそうです。逆に黒猫は、写真写りこそ悪いですが、日々楽しく過ごしていたそう。写真じゃわからないこともあるんですね~☆ ☆こんな嘘くさいマンガもあります☆ www.nekonora.com www.nekonora.com www.nekonora.com
また今年も春がやって来る頃になりました。 私の実家は「村」が地名に着くような場所で、実家一軒屋の裏手は山、目の前にはおじいちゃんが作った畑があるような場所です。 実家の裏手は土手になっていて、春になると毎年、すみれの花が咲きほこります。 私が中学三年生になったばかりのそんな季節、軒下に住みついた猫を見つけたのは母でした。 薄い茶トラ柄に綺麗な菫色の眼をした猫は、季節もあいまって、そのまま「すみれ」と名付けられました。 「生き物なんて面倒だ」という父を捻じ伏せ、軽トラを出動させると街のホームセンターへでキャットフードを買ってくる母。 縁側の真ん中には沓脱石があり、その横はすみれさん専用のレストランになりました。 古い家の広い縁側に座布団を置いておけば、そこで昼寝をするすみれさん。 縁側にいる時には、私にも触らせてくれるものの、軒下から住まいを移すつもりはないようで、家の中まで入ってくることは
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」 生前アタシのじいちゃんは、IT機器に目がなく、ファックスをはじめとして、デジカメや、パソコンを電気屋さんでみかけると、いち早く自宅に導入し、毎日夕方から夜にかけて、勉強していました。普段自分からは電話なんてかけてこなかったのに、パソコンをいじるようになってからは、「メールを送ったけど届いたか?」「デジカメから画像のデータをメールにつけて送ってみたんだけど…」と、電話が毎晩かかってきて、そのアナログなやりとりが、じいちゃん子なアタシとしては、ちょっと嬉しかったのを覚えています。(亡くなる一年ぐらい前からの話)メールの内容は、庭の手入れをしたとか、水族館のくらげに名前をつけてみたとか、そんな他愛のないものだったのですが、今、あらためて読み返してみると、なつかしいような、それでいて、まだ、じいちゃんが生きているような、妙な気持ちになります。 ばあちゃ
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