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philosophyとreligionに関するkenjiro_nのブックマーク (3)

  • 日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国

    多くの日人が、日は無宗教で自分は無宗派だと思い込んでることは、たびたび各所で指摘されている。実際そう感じてる人が多いのだろうなとは思う。 だが事実はそうではない。日はとても宗教的な国だし、日人はすごく宗教的だ。 もちろん特定の宗教団体に帰依してるわけではない。帰依するだけが信仰ではない。もっと原始宗教に近いものを、日人は持ち続けている。 たとえば因果応報という考え方。これは仏教の教えだが、多くの日人がこの考えに沿って行動倫理を律している。良いことをすれば幸せが訪れる、悪いことをすれば不幸になる。なんとなく多くの日人はそう思って生きてる。 万物に魂が宿るというのも、非常にアニミズム的であるが、多くの日人はなんとなくそれを感じ取っている。物を大切にしなさいと教え教えられるとき、道具の手入れを怠るなと言い言われるとき、日人はそこに宿るべき魂を感じ取っている。 なんとなく身につけ

    日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国
  • 寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://macska.org/article/225 講演中、かれは「原理主義的無神論者」を批判するクリス・ヘッジズ『I Don’t Believe in Atheists』に言及しながら、「無神論の原理主義なんて誰も怖がりはしないだろう、『もっと理性的に話をしよう』と言うだけなんだから」と嘲笑した。しかし現実に「新しい無神論」の代表的論客の何人かが、機会があるごとに米国のイラク侵攻を熱烈に支持する発言を続けている(ばかりか、イランが核兵器を持つ前に核で先制攻撃をしろとまで言っている人もいる)ことや、西欧におけるイスラム系移民排斥の口実がもはや「キリスト教文明を守るためにイスラム教徒を追い出せ」ではなく「女性や同性愛者の権利、言論の自由など近代リベラリズムの原則を理解しようとしないやつらを追い出せ、入れるな」となっているーーそれは要するに、近代リベラリズムの原則がイスラム系移民ら「市

    寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2010/02/01
    “寛容を騙る不寛容”とどう相対せばいいのだろう?
  • ダライ・ラマ自叙伝より: 毛沢東曰く「仏教はよい宗教」「しかし宗教は毒だ」 - rna fragments

    1953年、ダライ・ラマ14世が北京で毛沢東に会った時の話。 数日後、私は毛沢東から「一時間以内に会いに来る」というメッセージを受け取った。彼は、到着したとき、ただ単に訪問しただけだと言った。それから、何かのはずみに、「仏教はたしかによい宗教だ。釈尊はもとは王子であったが、人民の生活条件を向上させる問題に、多くの考えを払った方だ。また観音菩薩は親切な心の女性だ」という意見を述べた。数分後に、彼は立ち去ったが、私はこれらの意見にすっかり当惑して、どう判断してよいのか分からなかった。 『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』木村肥佐生訳 (1986) p137 「よい宗教」て。えらい上から目線です。 この非凡な人物と私の最後のインタビューは、私の中国訪問が終わりに近付いたころであった。私が全中国人民代表会議常任委員会の会議に出席していたとき、私は毛主席邸に行って、主席に会うようにと書かれたメッ

    ダライ・ラマ自叙伝より: 毛沢東曰く「仏教はよい宗教」「しかし宗教は毒だ」 - rna fragments
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