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phishingとXratedに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • 武器としての児童ポルノ | スラド セキュリティ

    家/.記事「Child Porn As a Weapon」によると、折り合いの悪い人物を役職から引きずり下ろすための武器として児童ポルノが使われたそうだ(元ネタのThe Press Association記事)。 イーストロンドンの便利屋Neil Weiner氏は学校の管理人Edward Thompson氏と以前から折り合いが悪く、Thompson氏に役職を去ってもらい自分が代わりにその座に就くため、Weiner氏はThompson氏のコンピュータに児童ポルノを仕込み、警察に通報したそうだ。 最初の通報がWeiner氏の携帯電話から行われており、またWeinerはBBQで友人らにこの計画を豪語していたそうでWeinerは後に逮捕されるのだが、真犯人が突き止められるまで8ヶ月間Thompson氏は濡れ衣を着せられたまま同僚や近所から村八分にされていたとのこと。 ちなみに、警察のコンピュータ

    武器としての児童ポルノ | スラド セキュリティ
  • えっちした事を「喰った」と表現するのはどうなのか?

    誰かとえっちした事を「〇〇を喰った」と表現する男性が現在とりわけ散見される。 何が問題なのかというと、この表現は「〇〇という人間をべる」としてカニバリズムに当たる事である。 昨今のカニバリズムとして、日人はおかしな誤解をしている。 例えば、パリ人肉事件の佐川一政の件である。 端的に言えば、佐川は自分の彼女を捕的な意味合いで「喰った」わけである。 この「喰った」という表現は表現として至極適当である。 というのも昔「喰う」という表現は、例えば「人喰い鮫」のように人や物を文字通りべる、 すなわち「〇〇が人肉をべる」といった意味合いにきわめて近い。 しかしながら、現在の「喰った」はカニバリズム的な「喰った」という表現ではなく、 どちらかといえば、「ご飯をべた」と同種の表現であろう。 ここにニュアンスの違いを感じるのである。 この表現、おかしな所はないのだろうか。 この表現を目にする度に

    えっちした事を「喰った」と表現するのはどうなのか?
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2014/10/31
    自分のもの、あるいは自分の一部としたので「喰った」でいいんでねーの? 知らないけど。というかこういう硬直的な思考は虚偽投稿のにおいがするのであんまり取り合いたくない。
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