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pollutionとhistoryに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • チッソが有機水銀をたれ流さなかったら、と思う。

    県を跨いだところにある鹿児島県(元)出水市民だが、水俣病の原因企業であるチッソ(いまは事業会社をJNCとして分離)のクソさを「水俣病資料館」で遠足がてらに勉強したうえで、チッソが「水俣病の原因企業」とならなかった未来に想いを馳せることがある。 小学生の頃のチッソのイメージといえば、水俣駅の前にあるチッソ工場の正門のゲートで、その先で何をつくっているのかは知らなかった。いまでも、当時は出水に NEC の液晶パネル工場があって、そこに液晶でも納品してるのだろかぐらいの認識である。... 要は、未だに何をしているのか理解していない。 チッソの工場といえば、九州なのに工場内が 50Hz の交流の電力なのは、ドイツから発電機を取り寄せて鹿児島県の伊佐市に水力発電所をつくって水俣の工場に送電しているから、と言うと都会の連中が「へえー」って言ってくれた。 まあ、なんというか、チッソのような大企業は出水も

    チッソが有機水銀をたれ流さなかったら、と思う。
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2021/09/28
    「MINAMATA」との絡みで映画タグもついでで付けている。
  • 朝日新聞デジタル:ベトちゃん・ドクちゃん手術から25年 ベトナムで式典 - 国際

    支援を続けてきた藤文朗さんから花束を受け取るドクさんと家族=6日、ホーチミン市、佐々木学撮影  【ホーチミン市=佐々木学】ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤の影響で結合双生児で生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」の分離手術から25年。ベトナム南部ホーチミン市で6日、記念の式典があった。ドクさん(32)は「今の自分があるのは皆さんのおかげ。精いっぱい生きていく」と話した。  同市ツーズー病院で分離手術が行われたのは1988年10月4日。「最も困難な手術を、最も貧しい国で行うので協力してほしい」と請われ、日の医師団も協力した。  式典には、日で募金などの支援を続けてきた「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」の藤文朗会長も参加し、「これからも枯れ葉剤被害者の支援を続けたい」と述べた。  ベトさんは手術から19年後の2007年に他界したが、ドクさんは結婚して双子の父となり、同病院職員として働

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