2012年10月17日のブックマーク (3件)

  • 「広島は逃げるように立ち去るべし」 江田島海軍兵学校と原子爆弾 - オシテオサレテ

    典昭『福祉行政最前線』高輪印刷株式会社、1990年。 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025774932-00 13日に亡くなった私の祖父は、いくつかの書物を自費出版しています。そのうちの一つは、市役所での仕事を中心にした自分史のようなものになっています。これは老齢に達した人がよく書くジャンルではないでしょうか。そのの冒頭部に、1945年8月6日以降に関する記述があったので、ここに抜き書きしておきます。私には興味深い証言に思えました。この時、坂典昭は江田島の海軍兵学校にいました。 そして、運命の日、あの悪魔の火の爆発が8月6日午前8時15分、広島で爆発いたします。 江田島の生徒館の中庭で体操を終わり、直立していた小生、ピカッとマグネシュウムを焚いたような閃光と、熱風の風圧を首に受けて思わず首筋に手をやります。 ガラガラと生徒館の雨樋が崩

    「広島は逃げるように立ち去るべし」 江田島海軍兵学校と原子爆弾 - オシテオサレテ
    kenkido
    kenkido 2012/10/17
    (さらし布で袋をつくり、手袋、靴下と合わせ空襲時に肌を露出させるな云々。軍部では白布で身を包み数メートルの壕に身を潜めれば被害も些少と対策を立てたそうで、そんなバカなと思ったけど、実施してたんだ。)
  • “不人気”なブラジル代表の現在地 - スポーツナビ

    ロンドン五輪でメキシコに敗れ、銀メダルに甘んじたブラジル代表。準決勝までの圧倒的な強さは消え、決勝ではメキシコに全く歯が立たず不甲斐なさばかりが残った。ブラジルのサッカー熱を考えると、金メダルを逃したマノ・メネーゼス監督に対する世論の反応は過激なものが予想されていた。しかし、英国を後にしたメネーゼス監督は、ブラジルに帰国せず欧州に残り、敗戦から4日後の8月15日には、A代表の親善試合のスウェーデン戦に臨んでいる。そのため、実際にどのような反応が待っていたのかを知ることはなかった。 ダニエウ・アウベス、ダビド・ルイス、ラミレスなどA代表の主力に五輪代表を加えた当のブラジル代表は、アレシャンドレ・パトの2ゴールとレアンドロ・ダミアンの1ゴールで3−0と快勝した。五輪敗戦のショックを「しょせんは五輪代表にすぎない」という印象で塗り替えることに成功したと言えよう。 ■ブラジル代表に現れた新星“

    kenkido
    kenkido 2012/10/17
    国民との一体感とか、国民の高い関心とか、国民のバックアップとか、必要不可欠なものが不備不完全なのは心配だとするのが、私には、日本的な挙国一致思想でブラジルを語っているようで、なんともかんとも。
  • 過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む - Valdegamas侯日録

    戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1) 作者: 孫崎享出版社/メーカー: 創元社発売日: 2012/07/24メディア: 単行購入: 31人 クリック: 410回この商品を含むブログ (86件) を見る 感心できないである。 著者が出版社から「高校生でも読めるような冷戦後の日米関係」を書くように希望されたことが書出版の動機であり、構想を考えるうち、冷戦後に限らず、戦後の日米関係の通史として描くとを決めたそうである。とはいえ、書は日米関係史としてははなはだ中途半端なものである。その内容からして、日米関係というファクターを重視した、戦後史(つまりタイトルどおり)とする方が妥当だろう。 書はまず細部の不用意さが目を引くが、書のようなは細部を都度つつきまわすより、その示す議論の枠組みについて批判的検討をするべきだろう。まず概略をまとめたうえで、枠組みの検討を行ないたい。 書の概要

    過剰に大きな星条旗―孫崎享『戦後史の正体』を読む - Valdegamas侯日録
    kenkido
    kenkido 2012/10/17
    (過剰に大きいは同感。ところで取り上げない論点を「敢えて」と意図的と仮説しての反論は大概それらしくなる。でもね・・。で、どうせならウォ本だけでなく、主流オーソドックスなものも一度そう問うてみたら?。)